秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

わたしは屈しない

昨夜、TBSの月曜ゴールデンで、江川紹子の取材記事をもとにした実録ドラマをやっていた。
 
「私は屈しない 特捜検察と闘った女性官僚と家族の465日」。タイトルからすぐにわかるように、現在、内閣官房統括審議官の村木厚子さんの不当逮捕、特捜との攻防を描いた作品。
 
村木さん無罪の判決ののち、明るみになった大阪地検特捜部の不祥事。のちに、証拠改ざんで大阪地検特捜部のエースといわれ、小沢問題で、元秘書の取り調べの際に、調書を誘導したと疑われている検察捜査の責任者前川恒彦などが逮捕、起訴され、最高検のトップまでが更迭された。
 
日本における刑事事件は、起訴されれば、99%有罪。
 
実は、この数字自体が、他の先進国の刑事事件と比べても異常な数字なのだ。そこには、最長20日の拘留と取り調べに弁護士の立会が禁止されているという、この国の司法捜査制度に大きな問題がある。
 
長期、長時間に及ぶ拘留で、被疑者を心身共に疲れさせ、正常な判断もきなくして、保釈や刑の軽減を出汁に、虚偽の調書や自白に誘導する。
 
アメリカが地位協定の改正に消極的な大きな要因は、実は、この前近代的な刑法犯に対する捜査のあり方に不満があるからだ。封建時代のような野蛮な捜査を行う警察、検察組織にかかれば、やっていないことでもやったと供述する危険があるとアメリカ政府はわかっている。
 
国民の権利を第一に考えるまともな政府なら、外国人であるがゆえに、なお、現行の司直捜査に不審を抱くのは、至極当然なこと。
 
法とは、そもそも不完全なもの。なぜなら神ではなく、人がつくり、運用するものだからだ。近代刑法、民法は、誕生してから、不完全であるという認識に立って、過ちや失敗から学び、それを是正してきた。
 
法改正や破棄、あるいは新法によって、より公正な法、そして法の運用を目指してきたのだ。
 
ところが、この国の司直は、法改正にまったく乗り気がない。国民の視点をといって始まった裁判員制度も、法ではなく、直情的な国民感情を利用して、推定無罪を有罪とする危険もあれば、裁判官の責任回避となりかねない制度。
 
死刑廃止論への抑止効果もねらっているのは明らか。
 
そこに、この数年の検察捜査の明らかな偏りが生まれている。草なぎ剛のなんで家宅捜索までするのだという強引な捜査、押尾の事件を当初は事件性がないとろくな捜査もぜず幕引きしようとする、ところが、村木さんの事件のように、捜査段階から起訴が無理な事案を強引に裁判にまで持っていく。
 
どこにも捜査に整合性がないし、一貫性がない。
 
小沢問題もしかり。自民党議員にみつかった不実記載については、たいした捜査もせず、かつ、捜査の上で検察が不起訴としたものを、だれがどのような基準で選ばれ、だれが任命しているのかもまったくわかず、素人の寄せ集めだといわれる、検察審査会などというものが、起訴相当としてしまう。
 
単に小沢嫌いの感情か、小沢が政界にいては困るという輩の操作と深読みされてもおかしくはない。
 
そこにあるのは、国民感情として不起訴はおかしいという、印象にすぎず、まったく法と照らした判断ではない
 
しかも、元秘書で衆議院議員だった石川が、検察の誘導で調書をとられたことも明るみなっている。公判維持さえ、微妙になりながら、マスコミ、自民党公明党などの野党は、国会審議の目玉が小沢問題だと、予算審議は放り出して、キャンキャン叫び続けている。
 
一連の検察の偏りを見ると、どう考えても、検察内部または外部に恣意的、意図的な捜査を指示している、権力を持つ闇の人物や集団があるとしか思えない。その指示に従うために、担当検事が、強引に立件のためのストーリーを描き、それを自供という形で誘導し、証拠を改ざんする。場合によっては、証拠のねつ造さえあったかもしれない。
 
もしそうだとしたら、まさに戦前の特高警察のやり方そのものだ。
 
事実、今朝、TBSのHPで、昨夜のドラマを検索したら、この「私は屈しない」のHPが文字化けして荒らされている。
 
こうしたドラマが放映され、HPでその情報を流し続けると、困る奴は、いまこの国で、だれなのか、どういう団体なのか。