秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

家族でなくとも家族たりえる

連日の寒波で、東北、上信越、北陸では、記録的な雪になり、雪下ろしや雪害で、高齢者の方を中心に、怪我や死亡事故が続いている。
 
数年前、ちょうどそのときは暖冬といわれていた時期だが、真冬に新潟の十日町市の山間部、菅沼の取材にいったことがある。
 
 
冬場、撮影車両で高速をいったが、途中通行止めになり、チェーンをつけて、アイスバーンになっている一般道を横なぶりの雪の中走ると、2メートル以上の雪の壁が延々と続いている。なんとか無事に到着したものの、翌日晴天の中で見た菅沼は3メートル以上の雪に埋もれていた。
 
現場の担当者の方々と話すと、まだ菅沼ほどではないが、十日町市内でも、豪雪のときは、毎日のように雪下ろしをやらないと危険だという。そして、怪我や死亡事故がよくあるという。
 
山間部における限界集落(65歳以上の高齢者世帯しかなく、数年後に集落が喪失する場所)も問題だが、十日町のように、若い人が街を離れ、中高年しか住んでいないような場所では、体力のない高齢者が雪下ろしのような荷重な肉体労働を強いられている。
 
高齢化が進む中、体力のないお年寄りや中年世代が、買い物もできず、雪に閉ざされたり、自然の猛威の中、困窮している。農林業人口の平均年齢は65歳。TPPの実施へ向けた検討で、畜産を離れる人も少しずつ出ているという。
 
就職難のいまの時代、就職できなかった若い世代が、契約やフリーターとなることで生まれる格差。そこには、歪な産業構造や労働人口の流動が偏っていることが一つの要因としてある。
 
これからの時代、実業として目に見えるものだけを生産し、販売するだけの時代ではなくなる。こうした、高齢者世帯や疲弊している農林業、畜産といった分野をサポートするような見えないサービスを事業化していかなければ、新しい雇用も生産も生まれない。
 
ただ、大企業に雇用枠を増やせ、雇用採用チャンスにめぐまれない中小企業に人材が流動するような説明会を優先的に開かせるといった、これまでの職や産業構造に依存した中で、人を吸収しようとしても、できるものではない。新しい産業が生まれるわけもない。
 
新しい産業、それは目に見えるサービスではなく、これまでNPOやボランティアグループによって支えられていた社会サービスを産業という視点で見直して、ソーシャルビジネスとして成立させていくことだ。
 
成熟した資本主義社会がいずれ行き詰まるのは、これまでの経済発展とその後の人口減による凋落とを見れば、もはやパラレルな方程式といってもいい。その方程式の次にくるものを社会システムとして政治主導で生み出さなければ、次の時代はないのだ。
 
ただ、予算をつけました、地方に移譲しますというだけで、こうした社会サービスをシャーシャルビジネス化することは不可能。政治が意図的、主体的に、実業のモデルを示し、運用面でもビジネスモデルを示すことが必要なのだ。
 
そこで着眼すべきは、過疎地域、限界集落、高齢化が進む地方。お年寄りを大事にする社会をつくる、困っている高齢者がサポートされる。そういう社会には、未来の可能性が見えてくる。
 
自分たちが老いたとき、高齢となったとき、国、地域、周囲の人々からどういう保護と保障が得られるのか。その安心と安全への信頼は、若い世代の未来への安心、安全へもつながる。
 
高齢者が大事にされるということは、女性、子どもたちが大切にされる社会も生み出す。しかも、高齢者を隔絶するのではなく、女性、子ども、つまりは、家族形成、地域形成の要として高齢者を位置づけ、その役割を与えることだ。
 
アメリカのある取組では、高齢者、母子・父子家庭、そして、若い単身者でひとつの地域を形成し、互いがそれぞれの役割、つまり、高齢者が子守をしたり、高齢者の世話を母子家庭が見る、若い単身者がゴミの回収など地域的なサポートを行うなど、相互扶助を対価とすることで、共同体内での経済活動を生み出そうとしている。
 
相互扶助を対価に変えるということに抵抗があるかもしれないが、ここには対価以上に、社会の役に立つ、人の役に立つというモチベーションがあるから、対価以上の労働とサービスがそこに生まれているのだ。
 
家族ではなくとも、人は家族となりえる。失った家族の絆は、別の家族との絆によってしか、回復もされない。人と人が家族の精神で結びつければ、そこに愛は、おのずから醸成される。