秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

試練への一歩

夕方過ぎ、女優のYが来訪。事務所内のオーディションがあり、その課題演技をオレにチェックしてもらいたいと年明け早々に頼まれていた。
 
ところが、通っている芸術系大学の授業の合間に、同級生と稽古をしていて、そのオーディション原稿をどこかに忘れてきている。なんとか、事務所仲間に頼んで、メールとファックスで原稿を送ってはもらったものの…。
 
実際の仕事やきちんとしたワークショップなら、怒鳴りつけられても仕方ない心得違い。オレと親しい中ではあるが、指導者に教えを請いながら、資料を忘れるというのは、愚の骨頂。
 
叱ろうとも思ったが、それはせず、まずは、いまどきの若い女の子がやるように、なんでもかんでもひとつのバックにぞんざいに物を放り込んでいる、その癖をなんとかしろと諭す。
 
奴に伝わったかどうかはわらない。常に仕事を意識するなら、いつでも原稿や台本、学習ための書籍がすぐに出せる状態にあるという気配りを忘れてはならい。台本は俳優にとって、いのち。その大切さを意識するためだ。
 
性格的に整理整頓ができそうにないなら、意図してそうできるように、整理整頓の容易なバックを使うなど工夫する。それが、また、仕事に向かう心もつくってくれる。
 
自分でつくってきたセリフを語るが、そういう心の状態だから、強く心を惹かれるようなできばえにはなっていない。一定のレベルは越えているが、それは、多少の経験や素養があれば、他のだれかもできること。
 
その越えられない演技の壁は、無償で個人レッスンをするようになって、奴に言い続けていることだ。どうして、できなのか。それは、俳優としての貪欲さに奴がかけているから。
 
今回も、このオーディションを石にかじりついてもものにしようというなりふりかまわない姿勢がないから、うっかりとはいえ、大切な原稿をどこかに置き忘れている。
 
気合と根性が足りなさすぎる。と、叱責ではなく、苦言。Yをひとりにして、しばらくして、戻ると悔し涙を流している。それ以上は何もいわず、恵まれたいまの自分の環境に甘えないようにと伝え、あとは自分ひとりでつくりあげろと諭す。頭ではわかっていることが形にできない。その谷間は、俳優本人でしか埋められないから。
 
その頃、イワとベティが来訪。メールでのやりとりはあったが、新年初の顔合わせ。
 
表参道にあるイワの店には、酒豪編集者R、舎弟のS、女優の内田悠子、Y、数日前から、男優の長部努も通うようになった。金のない女優男優には、どうやら、イワがなにかにつけて心くばりをしてくれているようで、本当にありがたい限り。奴らのお礼のメールをみても、ヘアスタイルには大満足の様子。
 
やや緊張気味の部屋の空気を察して、イワが冗談を飛ばす。奴らしい配慮。メシを終わると、Yは早々に帰った。ひとりでじっくり考えを整理したかったのだ。それでいい。
 
いつもなら、バカ話で盛り上がるオレたち3人が、ちょっとマジな空間になってしまったオレの部屋でしみじみ飲む。なぜだろう。オレは、これまで二人に話さなかった話をし、イワもこれまでオレに話さなかった話を語る。
 
イワがオレに期待してくれている思い、願いはわかっていたが、初めてはっきりそう言葉にされて、本当にありがたい気持ちになる。
 
何かをこの世に遺して終わりたいという願いは、真摯に自分の生き方を、表現を追及すれば、だれもが感じること。それに向き合えば、いろいろなことを人は考える。
 
思い通りにいかない歯がいさ、手の届かない悔しさ…。それでも前に向かって進んでいくには、あまりに脆弱な心…。宇宙の闇の片隅で、遠く悲しい目をして、覚めている自分に気づき、もういいか…と、ふと気力をなくすこともある。
 
そんな中で、どうしても描きたい世界、伝えたい思いを形にする。その切実さと悲しさが、表現者には必要なのだ。
 
女優のYが、本当の意味でそれに気づいてくれたらと願い、しかし、それは、試練への一歩になるのだなと、ふと思う。