クリスマス迫るギリギリの世界
クリスマス、クリスマス、クリスマス…。
クリスチャンでも、プロテスタントでもなくても、クリスマス、クリスマス、クリスマス…。
どこへいっても、クリスマス。だが、どうしてだろう。そして、いくつからだろう。
クリスマスの華やかな街のにぎわいや装飾に、かえって寂しさや孤独、そして、虚しさを感じるようになったのは…。
隣に腕を組む女性がいても、その日、その夜を一緒に過ごす女性がいても、その思いは、思春期の頃からあまり変わっていない。
クリスマス、クリスマス、クリスマス…。
クリスマスや正月を楽しみにできていたのは、本当に幼い頃のことだけだったような気がする。
人の流れや喧騒の中にいて、安堵できるという人たちがいる。みなと同じように時を過ごすことで、みなと一緒なのだと安心感をもてるからだ。私は、自分は、その輪の中にいる。それが大事なことらしい。
だから、そこにひとりでいることに耐えられないから、クリスマス前、クリスマス中は、やたら合コンや婚活がはやるらしい。
なんてことを原宿のイルミネーションで渋滞した道路を表参の交差点から遠くながめて思う。超渋滞しても、そこにいきたい。それがクリスマス。
日本人であることを確かめられる。それが人であふれたクリスマス。たまのことだからと、イルミネーションや夜景に人が集まる。それがクリスマス。
それで人が幸せなのなら、ある意味、そんな手軽な幸せはない。
だが、クリスマスってのは、人を思う日ではないのか。自分の喜びのためにあるではなく、身近な人ばかりでなく、遠くにいる人、顔も知らないが、困難や苦しみの中にある人々のことを思う日ではなかったのか…?
クリスマス、クリスマス、クリスマス…。きれいさに溢れただけの都会のクリスマス。
もうそんな時代じゃない。静かに祈りを過ごす、新しいクリスマスの過ごし方をこの国の人は身につけてもいい頃なのに…。
そうつぶやきながら、年賀の印刷の手配をやっとするオレ。上りは24日。まさにイブの日。でいながら、ギリギリ間に合う、相変わらずのギリギリの世界。
そう、同じクリスマスも、だれかにとっては、ギリギリの世界なのだ。