秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お彼岸法要

朝から、お彼岸法要に出向く。Tさん、Cさん、Dさん、Iさんのそれぞれの家の先祖供養をご本人の承諾をえて、半月ほど前にお願いしておいた。
 
不思議なもので、お盆の月、お彼岸の月にかけて、それぞれの方にいろいろな転機や試練があった。これも何かの縁だからと、先祖の戒名を書かせてもらい、会えない方の分のお布施もさせてもらった。
 
春のお彼岸、盂蘭盆会、秋のお彼岸に、これまで身内、親族の法要や供養はさせてもらっているが、直接には縁のない、そうした方々の先祖供養をさせてもらうのは、初めてのことかもしれない。
 
少しでも、それぞれの方が見えない力に守られ、人生の出来事のすべてをよき糧とできることをひたすら祈る。
 
仏にお供物を捧げる儀式があるのだが、そこで、「千の風にのって」が流れた。
 
この曲はどのバージョンを聴いても、不思議なことに、風になっている自分が空を舞いながら、森や林、美しい芝の緑の地上をみつめている風景を想起させる。
 
亡くなった人の願いもそうしたものではないかと思う。
 
人の力でできることなど、たかがしれている。せいぜい、できるのは、まだ、この世で希望や夢を追いかけたり、追いかけながら傷ついたりした、大切なだれか、お世話になっただれか、いや、大切にも、大事にもされかなった人も含め、その人たちの無事を祈り、幸せをただ願うことくらいなのではないだろうか。
 
亡くなってしまった自分は、現実の世界をそんなふうにみつめ、祈ることしかできない。それは悲観した気持ちではなく、もうこの世にないという諦観の中だから、自分の幸せという我を捨てて、いまを生きる人の幸せを素直に祈れるのではないかと思う。
 
自分を数に入れない。それが本当の意味で、利他になる心だと思う。
 
家が近いということで、お彼岸法要に付き合ってくれたベティとお参りした後、近くのファミレスで、ランチをする。この一月、食べたいなと思いながら、どのカフェにも置いてなかった、クラブハウスサンドを食う。
 
昼過ぎにベティと別れ、一度事務所に戻り、すぐに銀座へ。赤沼正一が主宰する劇団の公演を観る。急の観劇だから、当日券で入ろうと汗を拭きながらキャンセル待ちをしていると、戻ってきた係りの女性が超恐縮して、招待席に案内してくれた。
 
芝居については、またの機会にふれるが、知り合いのYくんが観劇にきていて、オレが東映の連中とよくいく、イタリア料理のカフェへ。ハッピーアワー。店長さんに日曜なのに、混んでるねというと、ハッピーアワーが終わるとすっと人がいなくなるんですぅ。
 
一見流行っているようにみえる店も、この不景気、苦労しているのだなと思う。
 
Yくん、別の業界関係者と約束していて、一緒に飲みましょうというので、鳥どりでしばしハイボールをやる。一足先に失礼して、家に戻ると10時。そのまま、寝入ってしまった。
 
台本書きのこと、制作の段取りのこと、書きたい本のこと、やりたい舞台のこと…。
あれこれ思いはめぐりながら、このお彼岸法要だけはきちんとやろう。そう思っていた緊張が緩み、深く寝入る。