秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

半径三メートルの幸せ

この国の政治家は、いつから国民の生活や暮らしを忘れたのだろう。
 
いや、国民の生活や暮らしを考えていながら、どうして、この国の政治家は政治ゲームに踊らされてしまうのだろう。
 
いや、政治という舞台で、撥ねたり、踊ったり、謳ったり、おどけてみせる政治家を眺めることを、この国の国民はいつから楽しむようになったのだろう。
 
差したる政治の知識もなく、いまの政治の姿を奥深く理解することもなく、すべての人がまるで、エセ評論家のように政治を語るようになったのは、いつからのことだろう。
 
タレントや芸人が政治を語り、タレントや芸人が政治家になれることが容易な国になってしまったのはいつのことからだろう。
 
だれでも政治家になりえ、だれもが政治評論家になりえ、政治を道具のようなに考えるようになったのは、いつのことからだろう。
 
だれもが政治を愚かしいものと思い、だれもが、政治が愚かしいがゆえに、政治への関心は無意味だと感じるようになった国。政治は道具だと、議員になることは有名になるための手段となってしまった国。
 
他者の暮らし、自分の暮らしの本質を支えるものに気づかず、半径三メートルの目先の幸せが守られれば、そのために泣く人、犠牲になる人、自分の幸せのために苦しむ人がいることも、わからず、知らず、見ず、傷つかず、生きられる、この国。
 
愛国心もなく、郷土愛もなく、相互扶助の心もなく、ただ、自分の幸せを求めることしかできない国民たちが生きる国で、その国民と同じように、自分たちの政治の権益にだけこだわって、この国の総理大臣が決められていく。
 
「世界ぜんたいが幸福にならなければ、個人の幸福はあえりない」。それは大仰な理想をいっているのではない。個人の幸福の前に、他者の幸福を考えよといっているのだ。
 
半径三メートルの幸せを求める前に、半径三メートルの外にある人々の幸せを確認せよといっているのだ。
 
だれかを犠牲に成り立つ、幸福など、一瞬の花火、幻想に過ぎない。