秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

素直になれ

何事につけ、素直に実践するというのが一番難しい。
 
次に難しいのは、形ばかりでなく、心から他者に対して謙虚であることだ。この場合、他者というのは人ばかりでなく、自分にいのちを与え、育んでくれている、自然界の生きとし生けるもの、すべてを指す。
 
その生きとし、生けるものが生み出す、物や資源に対しても同じことがいえる。自分自身に対しての謙虚さも、同じことがいえる。
 
数日前のDVDーRの不具合で、すでにダビングが終えてしまった商品のレーベルパッケージをさらに、変更してもらえないかという依頼がきた。今回に限りという条件はつけたものの、できるだけそれに応えようと業者に連絡すると、結局、一からやり直し作業になるという。
 
手数をかけて申し訳ないがと詫びて、レーベル訂正で再度焼き増ししてもらうように頼む。結局費用は倍になってしまった。
 
が、しかし。これは、オレの依頼先への謙虚さや販売でお世話になっている方々への感謝の思いを問われているのだ、とふと思う。そうした謙虚さやありがたさをきちとした対応で示せよと、見えない何かに諭され、教えられているような気がしたのだ。
 
一つ、自分の予想や思いを越えたことが起きると、だれでもがそうだが、心があちこちに動く。時にはパニックになる。
 
相手を責めたり、仲間を批判してみたり、不運を嘆いたりと愚痴や不満が心を占める。だが、そのように、心が動いたとき、「いや、ちょっと、待てよ。これはこれで、自分にとってありがたいことなのではないか…」と、もっと深いところへ、心を移すという
ことが、素直さや謙虚さを実践することだ。
 
この気持ちの切り替えが、なかなか難しい。試練や苦難をありがたいとは、なかなか人は思えない。だが、難しいがあえて、やってみようと行動にして取り組んでみると、それが結局、自分をすがすがしい気持ちにしてくれることは少なくない。
 
人はだれしも、対立するよりは、仲良くする方が気持ちがいい。自分の心が穏やかになる方が幸せだからだ。生活が豊かであれ、生活にゆとりがないであれ、そのことは本質的には変りはない。
 
自主作品の制作が終わってから、仕事で出会った、女優のYに個人レッスンをつけている。常に身体から学べと教えているオレが、珍しく、ワークショップ前に理論や理屈を学ばせておこうとしているのだ。
 
Yがふと聞いてきた。ミュージカルを目指してる奴の友人の師匠は二人いて、一人は理論や歴史といったことをしっかり学べといい、もう一人は、理論や理屈ではなく、まず身体から学べという。その相反する意見に、翻弄されているのだが、こうした場合、どうしたらいいのだろう…。
 
これはいい質問。若手の修行中の俳優にはよくあること。レッスンの師匠だけでなく、現場で出会う監督や舞台演出家によって、演技についての指導や意見が分かれるということはしばしばあることだからだ。
 
それは俳優の体質による。それがオレの答え。
 
詳細なことはわからなくても、台本を読んだときに、大まかにその本が描こうとしてる心象や情感を鷲掴みにでき、本の世界を言葉や演技にできる俳優と、それができない俳優とがいる。
 
Yは、明らかに前者。つまり、人より抜きん出た才能がある。
 
それぞれにあらかじめ約束された個性が俳優にはある。その個性に見合った指導をしてくれる指導者と会えるかどうかが、ある意味、俳優の運不運にもなる。
 
Yの友人がどのタイプかは知らない。だが、そのように迷ったときは、自分の心が求める指導者、演出を選ぶことだ。演出家と俳優は、互いの中に、共鳴する響きがなければ、いい仕事はできない。それがなければ、俳優は育たないし、それができない指導者、演出家は、肩書きはどうであれ、俳優を育てる力はない。
 
だから、俳優にとって大事なのは、どちらの言葉を自分自身が素直に、謙虚に受け入れられ、実践できるかなのだ。
 
Yの友人は、俳優としていい戸惑いの中にいる。二人の師匠の違う意見があったからこそ、自分は俳優として、どういう俳優として生きるべきかの選択を自然とされている。それは自分をみつめることであり、俳優としてどう生きて行くかを深く考える契機になるだろう。
 
こうした質問が出てくるところが、Yの素直さだし、凄さだ。
 
普段、村娘に素直になれと、説諭されているオレは、Yの姿にまたまた学ばされる。