秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

芸を磨く

19歳の女性役のオーディションをやる。

今回は自主作品ということもあり、秀嶋組の仕事をやっている俳優陣で大方を固めている。本を書くときから、俳優陣の顔を思い浮かべ、芝居の癖や特徴も思い描きながら、ほぼ当て込みで書いている。だから、いつものような大規模なオーディションはやらない。

ただ、3話ある話の中のひとつの主人公になる、10代の女の子は、芝居が結構きついし、難しいこともあり、常連の俳優とは別に、長い付き合いの某大手プロダクションにも声をかけ、二人ほど出してもらった。

今回、いつも端役でしか登場せず、勉強だからと助監督の仕事を手伝わせている長部努をメインの相手役に据えている。相手役だから、付き合えとオーディションに立ち合わせる。

奴のいいところは、現場から学ぼうという思いが強いこと。

助監督を手伝ってみろといったとき、一も二もなく飛びついた。スタッフ目線で俳優がどう見えるか、スタッフの内輪話に立ち会っていると、俳優の芝居、表情に実は、どういう注文を持っているかがわかる。

自分が俳優として、いっぱいいっぱいになってカメラ前に立っているときと違い、1歩も2歩も引いて、俳優の芝居を冷静に、客観的に見えるからだ。

世阿弥いわく、「見所の見」「離見の見」。

ワークショップレポートは読んでいるが、世阿弥のぜの字も勉強していない。オレのブログを欠かさず読んでいる奴は、例の加圧トレーナーで村娘Rさんの世阿弥への興味の高さを知って、「あ、やばい」と思ったらしい。

だが、心やさしきカントクは、そんなことは百も承知だ。知らず知らずのうちに、とうの昔から「見所の見」をやらせている。ただ知識がないから、なぜ、オレがそれをさせているのか理由づけがわからない。

基本、大方の俳優というのは勉強嫌いと決まっている。それでは困るが、そこそこテレビや舞台、映画の出演が続いていると、そこで学ぶこともあるし、何よりもやっているという充実感があるから、あえて、演劇書や映画、舞台を観て学ぼうとしなくなる。

もちろん、それではいけないし、それでは困る。若いうちこそ、そうしたことをせっせとやっておかなくては、年を重ねたときに、演劇のえの字もわかっていない、思い込みだけのありがちな俳優に成り果てる。

この世界に入って、一番に肝心なのは、<素直さ>だ。だが、それは、先輩の俳優からも同輩の俳優からも、スタッフからも、愛されるような素直さが大事といっているのではない。

オレは、<学ぶ素直さ>を持てといっている。だが、大方の役者は勘違いし、<素直に学ぼう>とする。何でもかんでも受け入れなくてはいけないと思ってしまうのだ。人から学ぶというのは、言われたことを言われた通りにやることではない。自分の中で咀嚼し、自分なりの形とすることだ。

そういう自分であるために、人にいわれずとも、自ら何かを得ようと学びに励むことだ。それをなくしてしまったら、驕慢さ、慢心さがすぐに芝居に出る。

なんでも、奴の友人は、いま仕事が忙しく、互いに役者だということもあって、ライバル意識もあるのだろう。最近、行き違いが絶えないという。だが、ついこの間までは、奴の方がテレビの連ドラ、大作の映画などの出演が続いて、忙しかった。

オーディションがないと不満をこぼしたのも、仕事が一段落したその頃のこと。忙しく、「仕事なんだから仕方ないだろ」とかつて自分がいっていた同じ言葉を、いまは、奴が投げ付けられているらしい。それは、お前の姿を教えられているのだろうというと、奴め、…。になる。

俳優は、自分をアピールすることも大事だ。だが、ただ仕事をくださいといって叶う世界ではない。かりにそこで、自分が観た映画、読んだ演劇書、台本の感想や疑問をぶつけたらどうだろう? きっと、すぐに仕事の話にはならなくとも、おう、こいつ勉強しているな。学ぶ素直さがあるな。ということになる。

そういう努力がいるということ。芸を磨くというのは、そういうことだ。

世阿弥のことを学べばわかることだが、父観阿弥が、室町将軍家のお抱えになり、その子であった世阿弥は容姿も端麗だったことから、将軍の寵愛、つまり男色の相手をさせられた。

歌舞伎の始まりは、出雲の阿国だが、これはもともと巫女。当時、巫女は遊女でもあり、ストリッパー。だから、遊女歌舞伎が全盛になる。

だから、歌舞伎は当初女性のものだったが、売春買春が当たり前だったから、幕府の規制を受けて、若衆歌舞伎、いまでいえば、10代のイケメン兄ちゃん芝居になる。すると、ここでも売春買春が当たり前になる。それは女性ばかりでなく、男色が当たり前の時代だから男も客になる。

そこで、若衆歌舞伎も禁止となり、大人の男が演じる現在の歌舞伎の姿になっていく。お山という男性が女性を演じるという形が定着するのも、こうした背景がある。

しかし、その一連の芸能の中で、役者は芸を磨き、身体を張って(売って)舞台にしがみついてきた。そこしか生きれる場がなかったからだ。当然ながら、彼らは賎民視された、河原者、つまり定住の地を与えられない、被差別部落民だったからだ。

この世界でのし上がる。いい作品に出会い、鍛えられる。そのためにいい作家、いい演出家に出会い、時には、恋をし、時には打算で、男性遍歴、女性遍歴を重ねる。

芸を磨く、その気概と根性も否定されるべきではない。そう思うのは、「下ネタから革命を」ではないが、アートと性は切っても切り離せないと、こうした歴史を知るがゆえに、確信しているからだ。