秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大衆と市民

人は、思い込みや先入観に支配されやすい。

その多くは、こうあって欲しい、こうあるべきだ、といった経験主義によってくつられたもの。人は、自分の過去の経験が裏切られたり、何かで変更されることを極度に怖れる。とりわけ、日本人にはその傾向が強い、とオレは思っている。

引越しのとき、秀嶋組のスタッフが手伝いに来てくれたが、いつものように、ひと段落したところで、ワインを飲みながら映画談義になった。そこで話題になったのが、『アバター』。3Dについて、技術のOが語れば、舎弟のSが映画の内容について語る。当然、オレは観ていないし、観る気もない。

これからは映画も3Dの時代に突入し、リアルから遠い世界へますます拍車がかかる。それが時代だ。という、もうひとりの舎弟Tの話に、果たして、それが映画なのか…と、オレや音効のKは、反論する。

「商業主義に踊らされるといっても、それが現実じゃないですか」とT。確かに。

いわゆるデジタルネィティブ世代がこの世界を動かすようになれば、それが商業主義に踊らされているという感覚もなくなっていくのだろう。だから、Tのいっていることは、すこぶる正しい。

しかし、オレは思う。たとえば、舞台や撮影スタジオでの建て込みにしても、ロケセットでの美術装飾にしても、ヘアメイクにしても、あるリアルな空間に自ら身を置き、そこで手作業として、台本に描かれている時代や状況をつくり上げていく中で、制作者側に蓄積される技術や経験、情報といったものと、デジタルデータを駆使して、分業でくみ上げられて出現する、モニター上の空間づくりの経験とでは、決定的に皮膚感覚が違う。

オレのような古い人間には、後者は、世界をなぞっているようにしか思えない。

人の生理とはそういうものだ。ある舞台がどこの劇場でも同じ舞台を出現させることができないように、映像においても、画面上に出現する空間に人は支配される。演技の質もそこで左右される。

もちろん、一時代前のように、過去の空間を自分の生活経験に基づいて復元、再現できる生理を持った職人たちがいなくなり、リアルにそれを描こうとしても、技術、経験、情報において、劣ってきているという現実はある。

だいぶ前の映画だが、CGも使っていた、北野たけし主演の『血と骨』の美術は、撮影監督の問題もあったのだろうが、ひどいものだった。

建て込みのリアリティが次第に失われている現実を見れば、CGから3Dという流れが否定しようのないものであることは、オレでも理解できる。

が、しかし、『アバター』が話題になった途端、3D対応に拍車がかかり、大衆もそれに迎合する。というのは、いかがなものか。

マスコミの功罪としても指摘すべきだが、一つ話題性が生まれると、極端なゆれをこの国は起こす。マスコミも不況の中で、視聴率や聴衆率に追われ、雑誌や書籍では、本離れがひどく、それを回復するために、データ化が進み、紙からデータへの時代がひたひたと迫っている。その状況では、トレンドを追うしかないし、広告出稿サイドの受けをねらえば、偏った情報を発信しないと、生きていけなくなる。

恣意性や意図性がなくても、「経済」というワードの中では、無作為の恣意性、意図性が生まれる。

昨日、小沢問題で、検察の不起訴処分が決定した。オレがだいぶ前に、この小沢問題をとりあげ、あまりのタイミングの良さは異常で、異様だと述べた。検察サイドは恣意性や意図性はないと否定するが、過去の常識から考えても、国会開催時期をねらった絶妙のタイミング。民主党たたきは明らか。

それに全新聞が、基本、小沢は黒だという前提で記事掲載をしていた。そして、どのテレビでも、どの新聞でも、すべて小沢問題一色。主要報道はすべてそれ。しかも、やたら、元東京地検特捜部や検察OBがマスコミに登場する。これは、マスコミの恣意性でなくてなんだ。

不起訴処分になっても、小沢や民主党が受けたダメージは計り知れない。つまり、うがった見方をすれば、不起訴でもいいから、無理クリ事件にしようとしたと勘ぐられても当然だろう。大衆に悪の印象を植え付ければ、それ十分で、参議院選挙で、衆議院選挙のときのような一人勝ちはさせなくてすむ。

オレが3Dには、まったく興味がないのは、自分自身が映画はこうあるべきだという思い込みや先入観があるからだ。だから、それは古い。いずれは、朽ち果て、忘れられしまう感覚かもしれない。

しかし、この小沢問題でのマスコミ、検察の対応は、明らかに、それをすることで回復しようとした権力やスポンサー企業の思惑がある。それも、政治や経済、世の中の仕組みは変えるべきではない、といった思い込みや先入観がさせている。

同じ思い込みと先入観。しかし、どちらに恣意性や意図性があるかは一目瞭然。そのいずれに大衆が迎合するかも、すでに明らか。

あなたは、迎合する大衆でいるのか、自分の足で歩き、未来を拓く市民なのか…。