秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい風、新しい波

引越しのための仕分け作業が、大方片付く。

部屋内の片付けの目処が立ったところで、昨日は、新事務所の郵便ポストとドア上の表示版用のカッティングシートとレタリングシートを東急ハンズで制作。さっそく掲示する。

新しい住所にすり直す封筒類と移転案内のポストカード、名刺の印刷を表参道に営業所のある印刷会社帆風(ばんふう)の新人A君に来てもらい、依頼。聴けば、宮城は仙台の出身。うちのOA機器や電話を担当してもらっているメガのNさんと同郷ではないか。

今回の引越し、仙台がキーワードなのか…、などと頭の隅で考えながら、見積の依頼。結局、引越しに伴う見積依頼は、メガに始まり、最近知り合った司法書士のT先生の事務所、それに、印刷の帆風の三社になる。

新事務所の契約金やこうした一連の費用を合算すると、それなりの金額。自主作品の販売が昨年に比べ落ちている中、うちの会社にすれば、思い切った出費だ。来月から再来月にかけては、来期の新作自主制作作品も続くから、出ていくばかりの状態が3月くらいまで続きそう。

まさに、今年の初夢に現われた男が話していた言葉と符号する。

似た経験を持つ人は、多いと思うが、子どもの頃には、毎日のように夢を見た。目が覚めても、それらの夢をよく記憶していたし、夢に見た風景が、しばらくして現実になることもよくあった。

覚えていなくても、初めていった場所と風景を見て、以前、この風景の中で、まったく同じ言葉を同じ相手に話した記憶が蘇るということも、しばしばだった。デジャブだ。飛ぶ夢もよく見た。

オレは、だから、子どもの頃、自分は不思議な少年なのだと思っていた。実際、ドッペンゲルガー現象も体験している。

しかし、40歳の頃からそうした夢はほとんど見なくなった。年齢を重ねると、夢は見ているのだが、それを覚えておくことがなくなるのだそうだ。

初夢というのも、ほとんど見ないようになっていたのに、今年に入って初めて、目が覚めても覚えている夢があった。テレビに映る、オレによく似た男が、未来予想をしている。そして、3月までは大変だろうが、それから後はよくなるから、がんばるようにと、テレビなのに、オレに声をかける。

そして、気づくと画面からぬっと手が出て、オレに握手を求めてくる。誘われるように、その手に握手したところで、夢が終わった。あれは、いったいだれだったのだろう…。朝、起きて、ふと思ったが、それ以上考えることもなかった。

しかし、引越しが近づき、あれこれ手間や費用がかかり、3月までの予定が見えてくるにつれ、その夢のことが頭を過ぎる。

何につけ、新しいことをやろう、いままでとは生活を切り換えようとすれば、物心両面での負担と苦労はつきもの。それに腐ったり、不満を覚えたりするなよ、と言われたのではないかと思う。

新しい自分や生活をつくろうとするとき、それがやり抜けるかどうは、自分がやろうとしていることに前向きになれるかどうかだ。新しいものを自分のものにしようとすれば、必ず、いろいろな困難とも出会う。

しかし、そこで、へたった気持ちになると、新しく始めようとしたことにもケチがつく。そればかりか、前にも書いたように、結局、新しい自分と出会おうとしていながら、元の木阿弥の自分に立ち戻ってしまう弱さが生まれる。

自分が選択した道は、きっとうまくいくという確信、信念を持ち、貫き通す強い心がなくては、何も生まれない。だから、あの初夢は、オレ自身がオレ自身を叱咤激励してできた夢なのかもしれない。

魂は輝いていなければ、どのような生き方も道も輝きはしない。新しい風、新しい波。引越しが近づくにつれ、それをオレの肌が感じている。

新しいものは、ときとして、こわい。そして、慣れない肌には、ヒリヒリとする。だが、オレはそれを求めて、再び船を出す。