秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

再生の道

東映へ打ち合わせに行くついでに、銀座DIESELに立ち寄る。

格段、欲しいものや必要なものがあるわけではない。よせばいいのに、日本の旗艦店として、DIESEL東映の隣にできてしまい、以来、早めに着いたときや帰路、時間のあるとき、のぞくのが習慣になってしまった。おかげで、従業員とは、もうすっかり顔なじみになっている。

さらさらと見て帰ろうとしていたら、セカンドフロアのよく声をかけてくる女性店員さんに、いつものように、呼び止められる。

この店のいいところは、店員がきどってないこと。また、いきなり商品説明などヤボなことをしないこと。次の入荷情報や予定を知らせてくれて、いま買わない方がトクですよ、などと教えてくれることだ。見かけとは裏腹に、つまり、商店街のお兄ちゃん、お姉ェちゃん感覚。

話は、一昨日オープンしたアバクロの話題から、最近の店の景気、年末年始はどう過ごすのかといったことだ。

だれもが予想していることだが、H&M、フォーエバーのように、一瞬は行列ができるほどの賑わいだが、やがて、火が消えるように静かになってしまうのは目に見えている。どうして、いまどきの日本人は、銀座や原宿、初上陸、海外ブランド、値ごろ感という四題話に、あわてて反応するのだろう。

聞けば、フォーエバーは、あえていまでも行列ができるように、入場制限をしたり、レジの数を少なくしたりと、いわゆる、マーケティングでいう賑わい演出をやっているらしい。

H&M、フォーエバーは、知ってのとおり、レディスに比重が重い。メンズで、ファッション性が高く、値ごろ感を感じるという点では、今回出店したアバクロの方がいい。ただ、通販とは違い、関税の関係で、アメリカ本土より、銀座の出店店舗で購入すると倍の価格。それでもDIESELなどの半値。

また、これまでセレクトショップでしか、店舗では手に入らなかったから、旗艦店の日本進出で、セレクト系では、アバクロを扱う意味がなくなる。アイテムの工夫や仕分けをするのだろうが、これまでのような、なかなか手に入らないという、限定感やプレミア感はなくなっていくに違いない。

とはいえ、一部DIESELとも被っているから、店的にどうなの?と聞くと、逆に客が増えているという。やはり、これも定番のマーケティング理論通り。一つの賑わいが生まれると近隣の、テイストの似た店舗にも余波がいく。手頃なものを数揃えておいて、この一点はというところで、DIESELを利用しにくるらしい。

なんでもアメリカのアバクロは、ブランドイメージから、男性定員が上半身裸で接客するというパフォーマンスをやるらしく、銀座でそれをやれば、おばさん、オネェちゃんたちは大喜びだろう。まさに、アメリカ野郎の世界。

だが、それもバブル期流行った、西麻布の外国人男性のセミストリップショーと同じで、この国では、やったとしても、いずれ飽きられる。

初、新、限定、そうしたパフォーマンスに弱いのは人の常ながら、我先にとなってしまうのは、悲しいかな地方の人間。思ったとおり、アバクロからDIESELにくる大半が関東近県の連中らしい。

とはいえ、年末年始は、アバクロ出店の余波で、またまた銀座は人出でにぎわい、一人勝ちだ。

しかし、オレは、それでいいと、実は思っている。地方の商店街が失われることの危惧を訴えていることと矛盾すると思う人がいるかもしれないが、そうではない。

大規模都市開発で、どでかいビルをドンと立てて、ここは日本か、おらが町か、と思うような日本人の生活空間と馴染まない空間をつくり上げるより、銀座の開発の方がずっと、センスもいいし、人間らしい。一つの狭い箱のなかに、あれこれ詰め込み、周辺、近隣を疲弊させるやり方ではないからだ。

もちろん、この数年の高級ブランド店の出店で、銀座の古い店はなくなってきている。昭和を思わせる純喫茶やオヤジ飲みのできる店で姿を消したものもある。しかし、それでも、依然、銀座には、小さいながら、いい店がたいさん残っている。こぎれいなファッションビルの脇を抜けると、昭和がある。

根こそぎ、古い店舗をとっぱらい、平面を確保して、幾何学的な造形群を登場させるというやり方こそ、一極集中で、すべてを解決しようという、力に物をいわせるやり方だ。いくらファッション性や利便性があっても、そんな歴史も伝統も、格式も品格もないところに、人が集まり続けるわけがない。

銀座の開発は、地方再生のヒントとアイディアがいっぱいつまっている。時代や人心に応じた新しさを導入しながら、街の持つ、アイデンティティを失わないやり方だ。

東京の銀座だからできるのだろうというのは、地方のやっかみ。そこから脱しなければ、オレがいっていることの意味もわからないだろう。別に規模の問題ではない。詳しく述べると地方再生論になるからいわないが、要は、センスと知恵の問題なのだ。

新潟県村上市の古い町屋と町屋の納屋にしまわれていた、江戸時代の人形をそれぞれの商店が持ち寄って、実現した再生事業をみれば、オレの語ろうとしていることがわかる。

自分を立ち直らせる宝は、どこか遠くにあるのではない。

自分の生きてきた道と、親や先祖からいただいた、自分に刻まれた歴史の積み重ねの中にあるのだ。