秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

思いと願い

暗い気持ちになると、物事も暗くなる。明るい気持ちになると、物事も明るくなる。

わかってはいることだけど、悩みや苦しみに出会ってしまうと、狭窄視野になり、物事を明るく、前向きにとらえることができなくなる。

その人間の性格や生い立ち、家庭環境、生きて来た人生がそれには大きく影響する。

だから、いままで自分をつくってきた価値観や考え方、生き方、思い込み、偏見、驕慢さ、いい加減さ、愚かさ、幼さといったものと向き合い、そうした自分を少しでも変えようと努めなくては、染み付いた自分の弱さを克服することはできない。

それを仕事の困難や職場の人間関係の中で学ぶ人もいるだろうし、恋愛や友人関係で学ぶ人もいるだろう。夫婦関係、親子関係、親族縁者など、身近な人で学ぶ人もいるかもしれない。

しかしながら、どれも誰かとの関わりの中でしか、学べない。つまりは、人と関ることでしか学べない。

自分にとって心地よい人、耳ざわりのいいことをいってくれる人、甘えさせてくれる人、許してくれる人ばかりでは、それはできないし、そんな人とばかり出会えるわけはない。すべての出来事がうまくいくわけもない。

だから、失敗や挫折、孤独や不安が必要だし、傷つくことも必要となる。

しかし、昨今、失敗や挫折を避ける、臆病者は増えたし、孤独や不安をごまかすために、愛想笑いというペルソナ(仮面)をかぶってしまう意気地なしも増えた。また、それ以上に、傷つくことが上手な寂しがり屋も増えてしまった。

オレのようにドラマを書く人間にとって、そうした人がいることも、出会うことも、知ることも、必要だし、自分の中にある、そうした弱さに気づけないと、本は書けないのだが、その先に、幸せと出会ってくれないと、他人に対しては後味が悪いし、その思いや願いがないと人は書けない、と、オレは思っている。

人を鍛えるのも人だし、人を救うのも人だからだ。

昨日書いた、後輩のHと連絡がとれた。「どうしたんだ?」と聴くオレに、ただ、「すみません」しかいわない。責められると思っていたのだろう。そうではなく、いまの状況を聞こうとしているとわかって、やっと事情を話し始めた。

しばし、説教。始めは、業界人らしく、ペルソナを被っていたが、これからの自分の人間としての未来像をそろそろしっかり考えろという言葉に、やっとオレの話を素直に聴く。

ある意味、弟のような奴だから、穏やかに説教すれば、それを受け止める気持ちはある。しかし、説教しながら、つくづく、オレ自身、人のことが言えたものかと思う。

本質的には、何も奴とオレは違わない。ただ、後始末がうまいか、うまくないか。人に恵まれたか、恵まれなかったかの違いくらいなものだ。

オレも周囲の心配や意見に耳を貸さず、こうと思うと自分の思い込みだけで突っ走ってきた。失敗や挫折といった苦しみと出会い、人も傷つけ、自分も傷ついて、やっと、周囲の心配や意見が正しかったのだと自覚できる人間だったし、それは本質的に、いまでもそうだと思う。

奴に欠けているのは、その思い込みが誰のための思い込み、何のための願いなのかということだけだ。映画学校にいったくらいだから、映画がやりたいという思いはあったのだろうが、それだけでは、一時期、仕事はできても、やがて行き場はなくなる。

技術スタッフではないのだから、自分の表現への願いや思いがなくては、続かない。お仕着せの仕事をこなすだけなら、若い連中が次々に出てくる世界だ。

形ばかりこの世界で仕事をすることで、なんとなくクリエイティブなことをやってる気には、多少の才能と経験、知識、業界的人間関係を生きるコニュニケーション能力があればやれない世界ではない。

オレがテレビ人、映画人という人間にあまり興味がないし、キャリアがどうだこうだといわれても、大した価値を感じないのは、そうしたお仕着せの世界で生きて、自分の表現をしている人間があまりに少ないからだ。

作家性の高い人間は、生きにくいという世界だから、やむえず、その世界でコツコツ仕事をやり続ける人を否定はしないし、その中で生きられ続けることは凄いことだとは思っている。それも、形は違え、クリエーターとしての思いがなければ、続くものではない。

映像や舞台の世界に限らずだが、願いや思いのないところで、生き延びようとしても、うまくいくものではない。

昔、広告の仕事をやっているとき、いろいろな会社の商品や企業案内のCMやVPをつくって学んだこと。一つひとつの商品、技術の開発に、どれほど深い思いや願いが込められているか。

当時、まだ、中堅企業だったオレが取材したそうした会社のいくつかは、いま業界屈指の企業に成長している。あのとき、オレが感じ、学ばせてもらった貴重な教訓の一つだ。そこにお仕着せはひとつもなかった。生き抜くために、技術を修練し、人を育て、オンリーワンを目指していた。

オレたちのように個的な仕事の中でも、そうしたビジョンを持ち続けることを忘れてはならないような気がする。

この苦難の時代、生き抜く力は、思いと願い。