秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

試練

生き残りをかけた闘いが熾烈を極めている。

その皺寄せを一番に受けているのは、リストラ後、最前線で一番の働き手を担わされている20代後半から30代中盤の連中。営業職や販売関連の部署にいる若い世代は、午前さま帰宅。それも接待などではなく、マジ企画書つくりや売上げ表の作成など、仕事オンリーでのことだ。

土日出勤しなければ、追いつかないという連中も少なくない。

その世代から10歳ほど上は、まさに企業の中枢を担う管理職。空白の十年があるので、その間の人材がいない。こちらは、仕事で帰宅が遅い上に、休日祭日は、家族サービスに奔走しなくてはならない。しかも、これから子どもの教育費だの、家のローンだのと、金がかかる。

結果、この世代も平日の夜にプライベートな時間を持つことが難しい。仕事と家庭にがんじがらめにされ、思うように自分の時間が持てないのが現実だ。

リーマンショック後、各企業、自営業者は、知恵をしぼり、なんとか生き残ろうとする。そのためには、働く人間の自由時間は削らざるえない。そこにデフレ圧力が強まり、価格競争、販売競争が激化する。

以前のように遊興にふけってられいないというのが実状。一方、非正規雇用にしか、従事できない連中は、依然、厳しい生活を強いられている。今年も、年越し派遣村は開設される様子だ。

そんな時期、今年の初めに、奴が20代の頃からの付き合いで、45歳になる仕事の後輩のHが、オレがやめろというのも聞かず、映像の会社を立ち上げた。

オレの予想通り、わずか半年でこけた。残ったのは借金と売れないDVDの山。立ち上げたときから、電話で苦情を訴えていたので、仕事も回したが、結局、サラリーマン経験も管理職経験もなく、ビジネスシーンで生きたこともない人間がそうそうに、経営がやれるものではない。

そうした知識や経験がないところで、思いついたように会社をつくってしまったのが大きなまちがい。

販売経路の確保もなく、予定している取引先との契約書のやりとりもない。まして、オレが聞いても売れそうにない映像作品をつくってしまった。これといった実績もない会社や人間では、オレが相手先でも本気で取り組みはしない。

仕事がないので、仕事探しにハローワークにいったら、長蛇の列で、仕事探しがいかに厳しいかを思い知らされたという。そのくせ、某テレビ局のプロデューサー中途採用の応募するなどとアホなことをいっている。甘い。

結局、小遣い程度の金にも困り、出身の映画会社N系の映画学院の仲間に声をかけても断わられ、オレに泣きついてきた。それくらいならと貸してやったが、当然ながら、奴が返すといっていた金は戻ってこない。連絡もとれない状態。

たいした金額ではないから、金が返ってこないのは、いいとしても、トンづらはよくない。オレもこの業界で生きてくる中で、人にも迷惑をかけているし、助けられているから、奴を強く責める気はないが、自分のふがいなさに悔しいだろうが、周囲に頭を下げることは忘れてはならない。

奴が金の無心をしてきたときにもいったこと。

オレもいろいろな苦難や試練があったが、こうしていまでも、同じ仕事を続けていられるのは、どんことがあっても逃げなかったからだ。自分の力のなさに愛想をつかしかけたこともある。自分のふがいなさに悔しい思いで、頭を下げたことは一度や二度ではない。

相手の不満や怒りがもっともなのは、重々わかるから、身を切られるように辛いが、それがあったからこそ、いまもなんとか仕事に信頼を持ってもらい、自分の思いを作品に込めることができている。

苦難に遭遇すると、人は思考がとまる。元気なときなら、あれこれ気を回せたことが、できなくなる。それは、申し分けないという思いがあるからだ。現実に立ち向かうといのは、苦難のときには、そうたやすいことではない。だが、それでも苦難に正面から向かっていかないと、道は拓けない。

石を投げられても、向かい風に心が萎えそうなときも、それができるかできないかで、自分の学びの深さも変る。くだらないプライドも捨てられる。

いただいた試練は、それに真摯であれば、決して無駄にはならない。いつまでも続く、トンネルはないのだ。