秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あの素晴らしい愛をもう一度

風邪気味のところに11月下旬並みの天気。台風の影響もあって、どんよりとした空。

気圧も変り、やはり、体調がわるい。慌てて、漢方の飲み薬を飲み、ビタミンCを摂取、イソジンでうがい。というのも、だいぶ前から東京在住の女子同級生たちと自宅飲みを約束していたから。

熱はないが、なんとないだるさは、まさに風邪の予兆。出向く予定にしていたところもあったのだが、結局、昨日は休養日と決めて、得意の鳥塩鍋をつくる。

結構雨足も強い中、同級生仲間4人が到着。ビール、ウィスキー、日本酒、乾き物、フルーツまで持参してくれた。料理はオレの担当で、飲み物は同級生仲間。高校時代の話から、結婚までの経緯、結婚後の夫婦仲、子どもの悩み、これからのこと、あれこれ井戸端会議風に語り合う。波乱万丈のオレの人生には、みんな興味があるらしい。

金曜日に忘れ物をしていった、ハマにホスト役だから、Redに顔を出せない、立ち寄ってくれというと、寄ってくれた。で、おばさんたちの餌食になる。検察尋問。その合間、合間に、女性週刊誌ノリの共感と批判…。ま、すごい攻撃&人生アドバイスの速射砲。

さすがのハマも年上のおばさんたちパワーには圧倒されていた。

みんな、子育てを終えて、まだまだ、あれこれ家庭のことで思うところもあるのだろうが、人生の大きな山を一つ、越えている。そこでの発言は、専業主婦でも、重い。それにおおらか。

女性パワーのすごさは、大変なことも軽々と、大仰なことも淡々と。そのとき、そのときは、深く悩んだり、苦しんだりしたのだろうが、次へ、前へと進む力がある。それが、すごさだ。

それに比べたら、オレなんか、まだまだお子ちゃま。本当に男はひ弱だと、つくづく思う。歳を重ねるほどに、女は強くなり、男は弱くなる。

それは、女性が物事を投げ出さないからではないだろうか。若い頃は、投げ出すこともあっただろうが、一旦、結婚となると、まだ、オレたちの世代くらいまでは、あれこれあっても、そうそう結婚を投げ出さなかった。いい、悪いではない。そういう教育をされた時代だったのだ。

耐えたり、忍んだりする中で、人は、得られるものもある。理不尽な処遇や暴力はいけないが、他人同士の生活を維持するためには、互いの齟齬を自明のこととして歩むしかない。その中で、あんな人、あんな奴と文句をいいながら、得られる自分の成長もある。

それをしてきた女性は、やはり強い。みんなが、オレの近況を聞き、よろす相談屋さんになっていると聴くと、「人の相談や心配ばかりしていたら、自分の悩みを話せないだろうから、そういうときは私たちが聴いてあげるから」と、いう。同級生はありがたい。というか、うちの高校は、やはり、いい高校だったのだ。

ハマの生活のことをあれこれ、おせっかいをやき、心配している奴らの姿を見て、つくづくそう思った。

長い空白の時間があるのに、ただ、あの時代、あの場所、あの高校で共に生きたというだけで、他人に対して、これだけやさしくなれ、これだけ思いをかけることができる。それなりの年齢になり、この世のうまくいかないこと、耐えなくてはいけないことを知っているから、なお、それができる。

高校の頃、いつも周囲の大人の無理解と鈍感さにオレは、悔しい思いをしてきた。その思いがなかったら、いま、こうした仕事もやっていなかったし、やれていなかっただろう。

しかし、オレの孤独な心をいつも救ってくれていたのは、あの頃、あの場所、あの時間を、さりげなく、なんとなく、でも、少し気にかけながら、いてくれた、同級生たちがいたからに違いないのだ。

自殺した加藤和彦の、♪いのちかけてと 誓った日から…という、あの素晴らしい愛をもう一度の歌が、遠くで聞こえていた…