秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

平和の祈り週間

昨日は前日、1時間しか寝てない、睡眠不足。

その眠い身体で、地元のパウロ女子修道会、乃木神社、浄土宗の教運寺に、10月中旬、国連の創設記念日を挟んで、実施されれる「平和の祈り週間」の案内を持っていく。いつものボランティア。

「平和の祈り」は、国連のNGO団体、WCRP(世界宗教者平和会議)に加盟している、バチカンを始めとするカトリック教会が提唱して、世界の各宗派に呼びかけて実施されている。日本では、新宗連を中心に、仏教、神道も参加する平和祈願のイベント。

その一端を、港区の身近にある宗教団体、施設に提唱しようという活動だ。

パウロ女子修道会は、マザーテレサとの関係で世界的にはよく知られているが、日本では、あまり知る人もいない。

実は、オレの大学の教養時代の同級生が、卒業して十年ぶりくらいにあったとき、シスターの姿で現われ、なんと聖パウロ女子修道会のシスターとして出家していた。それには、本当に驚いた。

世界各国の修道所に寄宿し、パリやアフリカで貧困層のための炊き出しや生活支援を行っている。人柄のいい、秋田出身の純朴な奴だったが、まさかキリストと結婚するとは思ってもいなかった。なんせ、卒業うしてヨネックスに就職し、楽しくやっているとばかり思っていたからだ。

「平和の祈り」は、この間、久しぶりに飲んだ、NPOの事務局長Kさん、WCRP日本委員会渉外部長のHさんもよく知っているもの。

みんなで飲むとよく話しにでるが、NPOの海外支援活動などを応援してくれる良識ある宗教団体の活動は、ありがたいが、平和は、実は、祈りだけでは実現しない。

平和を意識して、祈るという行動は、自分たちの生活の中にある、人と諍う心、対立する心、排除する心をみつめ、自分自身の中にある暴力を意識させるから、大事な活動だとは思う。

しかし、その個的宗教精神だけでは、紛争の解決には結びつかないし、支援にも直結しない。そうした心根を育てる中で、紛争解決の意志や支援のための募金など、浄財を提供する心はつくられるだろうが、紛争を起こす要因の解決に取り組み、支援システム自体をつくる人間がいなくてはいけない。

そうした人間を育成し、具体的な支援活動に直接参加するということがないところで、祈りばかりやっていても、人の命は救われないのだ。聖パウロ女子修道会などは、実施にそうした活動をやっている。

宗教が平和活動において、現実的には、無力だといわれるのは、聖パウロ修道会曹洞宗がやっているシャンティボランティア会のような実践的、現実的な取り組みをやるところが少ないから。

紛争地にいけば、命の危険と隣あわせだが、それでも救済に身を投じるのが、本当の宗教者だろう。

とはいいつつ、オレが支援するNPO団体のいくつかも、こうした宗教団体の資金援助は欠かせないから、とりあえず、日々の生活できる協力は、オレも惜しまない。何もしないで、世界が貧困と紛争にさらされるのを黙ってみているより、よほどいい。

オレの回りで、海外の支援活動や紛争地の人々のために、何か自分でもできることはないだろうかと聞かれることがある。

そういうとき、オレは、まずは、自分の身体をつかって、現地に入るなんてことは、すぐにできないから、せめて、そうした活動をしているNPO団体で、良識のあるところに1000円でもいいから、資金援助をしたらどうかと答える。

それが、受ける側からすれば、とても現実的で助かるからだ。

次には、物資の受付をしているところ、たとえば、日本赤十字などがあるので、そういうところの物資援助をする。

で、できれば、平和について考え、自分の中にある暴力の眼、他者を排除する心と向かうことをしたらどうだろうと答える。そのためには、平和学習を受けること、学習というより、平和、紛争、差別といったことを、本でもいいし、映像資料でもいいから学ぶということだ。

市町村、区などに問い合わせれば、そうした学習会を定期的にやっている。そこに顔を出すというのも悪くない。

いずれにしても、自分の生活の中で、できること、自分自身が過度の負担を感じずやれることから取り組めばいい。

その意味で、平和な心をつくるための、平和の祈り週間も悪くはない。