秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ファースト・ステップ

軽~く、ボランティアの講演を頼まれて、はいと返事したのがまちがいだった…

自主作品の取材依頼や東映へ提出する掲載記事の原稿整理とか、あれこれやっているうちに原稿を書く時間がなくなってきてしまった。今夜は、まじ原稿に向かわないと、初稿の提出に間に合わない。

というのに、今朝、久しぶりに10時近くまで爆睡して、起きると、治まっていた50肩が痛い。それをほぐそうと、いつものように掃除、筋トレをやり、雨がやむのをまって、一時間半ほど、ジョグ。

昨夜、久しぶりに、サルバトーレの出前をとって、カロリー高めのイタメシを食っていたから、その調整のため、いつもより大目に運動する。

昨夜は、女優の内田と二人、遅い時間に、ビールとキャンティの赤ワインで家メシ。

1週間ほど前、内田に、芸能花伝舎の戯曲の本読みワークショップに参加しろと薦めて、手続きをさせている。そのとき、ワークショップに入る前に、本読みの基本を教えておこうと、顔を出せと声をかけていた。

内田に限ったことではないが、いまの役者は、発声の基本、本読みの基本、セリフを語る、「物いう術」のきちんとした訓練をほとんど受けていない。高い受講料をとり、人数を多くとり、それだけで収益を上げようとする、形ばかりのワークショップが多いからだ。

基本、早く舞台や画面に出たいと考えている安直な奴らに、いかにも稽古をやっている、俳優修行をやっていると思わせるには、エチュードの訓練や実際に戯曲や台本を使って稽古させた方が臨場感もあり、やっている気にもさせられる。

そこで、地味で、辛い、基本の鍛錬をすっ飛ばしてしまう。発声や口の訓練、表情の訓練、柔軟や筋トレは、つらい上に、単純で、派手さがないからだ。

結果、舞台の基礎、俳優としての基礎がないまま、手先、口先だけの軽薄な演技だけを勉強することになる。しかし、それが、後々、役者にとっては禍根を残すことになる。基礎がないのに、それなりに仕事ができる人間は、ごく一部の人間だけだ。しかも、その寿命は短い。

で、基本の基本だけ、やらせ、本読みの稽古の仕方だけを伝える。これまでも、言葉では伝えていたが、やはり、勘違いしている。しかし、その理由を飲み込むのは早い。やはり、自身、アスリートということと、トランポリンで指導している立場にあるからだろう。筋道が通った話をすると内田は理解が早い。

奴は、「そんなに何度もいい歳っていわないでくださいよ、わかってるんですから!」というだろうが、10代と違い、ある程度、年齢がくると、理詰めもないと、教えられる方は胸に落ちない。若いうちは、理屈でなく、空気感やノリの方が身に落ちるのだが、年齢を重ねてくると、この感覚だけでは、落ちなくなる。

ひどいのになると、理詰めそのものを否定してしまう。役者だから、言われたことをやろうとはするが、心が素直になっていないから、新しいメソッドや俳優術が入っていかないのだ。結果、生半可、中途半端ないままでの演技訓練で染み付いた、汚れを落とせない。そういう役者は先が見えている。

いくつになっても、俳優は、監督や演出に染まる、添うという素直さが不可欠。世阿弥も語っているよういに、達者になればなるほど、それが大事中の大事。もちろん、アホな監督、演出もいるから、意見や考えをいうのも大事だが、アホな監督、演出は、何をいってもアホだから、基本、伝わりはしない。

その伝わらないところで、演技を組み立て、工夫できるのも、基本をしっかり身につけているからだ。基本がしっかりできれいれば、アホ監督、アホ演出家も、役者の意見には耳を傾けざるえない。要は、役者は、アホ監督、アホ演出以上の学習と鍛錬をしていればいいということだ。

そのためにも、基本の基本をおろそかにしないこと。

戯曲や台本をもらったら、その戯曲、台本の書かれた時代背景、人の生活を学び、そこで使われる道具や家、衣裳、言葉にも注意を払う。知らない世界だったら、それを知る人の話を聴く。見たことのない道具や所作だったら、それが見学できるとこへ足を運ぶ。

それが、次に来る、基本の基本。

役者の仕事は、舞台や画面の中だけにあるのではない。そうした準備を通して、心をつくり、構えをつくっていくのだ。オレが、役者とアスリートは同じだというのは、そういうこと。いずれもパフォーマー
いいパフォーマンスを人様に見せるためには、そうした影の努力を怠ってはいけない。

ただ、仲間の三文芝居を観て、ただ、演出家や監督たちと懇意になり、営業活動をやって、いい仕事ができるものではない。それはそれとして、必要な場面もあるが、それより何より、自分を役者としてつくることだ。

なんでも、内田は最近、以前から知っていて、ちょいご無沙汰した連中から、変ったねといわれているらしい。オレが口すっぱくいっていることが、やっと最近、素直に聞けるようになってきたからだとオレは思っている。

役者に限らず、人は、何かから卒業し、新しいステージ、新しい考え方と出会うように前へ進まなければ、成長がない。縛られたいたものから自由になり、いままで自分では開発できなかった自分へ導いてくれるものと出会い、それを受け入れられるようにならなくては、世界は広がらない。

内田は、まだ、その最初のステップをしたばかりかもしれないが、人は、最初のステップを踏んだときに、すでに、大きな心の変革を起こしている。いままで、見えなかったもの、避けていたものを受け入れたときに、その変革が実を結ぶ。

まずは、ファースト・ステップ。踏みとどまって、ぐずぐずいっているよりずっといい。