秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

熟年離婚

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「監督、悪いけど、写真とってよ」。

東映のCプロデューサーと打ち合わせをしていたら、Y部長に声をかけられた。勤続45年の業務室の方が退職の日だったらしい。顔を合わせる程度で、それほどご縁のない方だったとはいえ、迂闊だった。お祝いの花でも用意しておけばと思ったのだ。今年6月で退職された営業の方のときは、退職数日前に花を届けている。

恐縮しながら、記念写真のシャッターを切る。折りしも、外部の人間で打ち合わせに来ていたのが、オレだけだった。

「監督に、写真とらせるなんて…」。若いスタッフは、気を遣っていたが、どちからかというと、こういうことが好きなオレ。いつもお世話になっているみなさんの記念写真がとれるとは、光栄。これも、何かの縁。

東映2007年問題は、無縁ではない。昨年から今年と退職者が続く。2007年問題というのは、この数年前後で、団塊世代を中心とした人々が大量に退職し、人材が希薄になること。バブル後の空白の十年と昨今の不況で、企業が新卒採用をしてこなかったからだ。

50歳前後の適度な年齢層の人材がなく、一気に、40歳始めから30歳後半になってしまう。その人数も少ない。その後の世代は、30歳前後しかいない。

企業も工夫していて、管理職の希薄さを埋めるために、60歳定年後、5年間ほど嘱託で再採用する。民主党の政策でも、退職年齢を現行の60歳から65歳に引き上げる案がある。年金受給年齢になるまでの5年間、収入の薄かった人は、いま再就職もままらないところで、生活するのはそれなりに厳しい。

それに、平均寿命が延びている。加齢にともなう、それなりの不具合はあるものの、また、個人差はあるにせよ、70過ぎても元気な高齢者が増えている。

頭は働くのに、働く場がない。経験や知識があるのに、生かせない。それは、見栄とプライドの男子には結構、つらい。社会の中心から、いきなり穏やかな老後を生きろといわれても、そうはいかないものだ。社会性は高くても、男子は、生活適応能力が弱い。洗濯、掃除、料理ができないという、男子は、まだ多い。かりにできても、横の人間的な繋がりをつくれるノウハウがないから、孤独に襲われる。

だから、企業の縦社会に生きてきた男子は、退職後の時間の過ごし方が難しい。地域のつながりを持ち、趣味のネットワークなど、多様な横の人間関係を生きている女子は、だから、年齢を重ねるごとに強くなる。昨今はやりの熟年離婚もそれが1つの要因。

オレの回りでも、知人、友人の話でも、熟年離婚の話はよく耳にする。夫婦という関係が愛から、契約の関係にすりかわって来ている。

そもそも、一人の異性を死ぬまで愛し続けられるというのは、至難なことなのだ。よほど激烈な恋愛でも経ていなくては、それは叶わない、とオレは思う。同志のような関係は結べても、異性としての愛を継続するためには、いろいろな要素が必要。それを承知で、男女がいろいろな折り合いをつけて、これまで夫婦でいた。

しかし、女性の世界が広がれば広がるほど、一つの企業世界、社会しか知らない男性は、魅力を失う。若い頃は外見だの、やさしさだの、表面の価値で付いたり、離れたりできるけれど、女性も男性の社会経験、生活体験を積むほどに、それだけでは、異性と深く結びつけないことに気づく。

それは女性にもいえることで、専業主婦やって子どもを育てていれば、どうしても世界は狭くなる。そのうち、女性としての身だしなみや心がけを忘れる。それが、社会のステージを上り続けている男子には、物足りなくなるときがある。

新卒採用から定年まで。サラリーマン生活のつらさはあったものの、そこまで逃げ切れた世代は、せいぜい団塊世代くらいまでだろう。リストラや解雇、非正規雇用労働が当たり前の社会になり、人生を1つの会社で終われる人は、ごく一部の恵まれた人の話になった。

そうなれば、ますます、経済や生活を背景とした離婚も増えるに違いないし、現実に増えている。

高度成長期に千葉の柏につくられた集合団地は、当時、若い夫婦と子どもたちの声で溢れていた。しかし、いまや、住居者が高齢化したことから、単身者で収入の少ない人のために貸し出されているが、そこが、男性の孤独死の場になっている。リストラや離婚で、一人暮しとなり、再就職もままならない中高年が、病気や自殺、餓死で、誰に看取られることもなく、なくなっているのだ。

高齢者の孤独死しかり、こうした中高年の自殺や孤独死しかり。家族や夫婦の関係が基本から変っていっている。身内の人間、身近な人間同士で、愛を支え合うことができなくなっている。

そうした人々への救済、セーフティネットを壊したのは、かつての自公独裁政権だから、それを民主野党連合政権が立て直しをし、システム変更することは大事だ。しかし、そればかりでなく、身近な人間同士が愛を育て、支え合える社会づくりも忘れてはならない。

昨日の小学生の殺人未遂事件。公園で遊んでいる近在の小中学生が、一人の小学生をタバコの火を焼き付けるなど、いたぶり、証拠を隠すために、河に投げ捨てたという事件。歳下の子どもを平気で虐待し、証拠隠滅のために、ひとつの命を奪うことに何の抵抗もない。

しかし、それは、加害者の少年たちばかりを責めですむものではない。それが、オレたち大人社会の写し絵だからだ。

そこまで極端ではないものの、身近な他者に対して、オレたち大人は、本当に心を砕いているのだろうか…。意見や考えが違う、集団のルールや常識に添わないからといって、無視や排除をしていないだろうか…。

企業でも、地域でも、そして、家庭でも、契約だけでなく、愛を育む心がなくなれば、こうした子どもたちを生んでしまう。