秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

海がみたい

昨日は、残り酒があり、一日、映画を観て過ごす。久しぶりの休養日。

台風が過ぎた、快晴の今日は、お彼岸ということもあり、久しぶりに相模大野に顔を出す。昼飯を食べながら、息子とあれこれ話ををする。

受講している講義やこれから受講する講義内容などを話し、心理学をとったという奴にフロイトのことを投げかけ、大衆の心理がどう動くか、社会心理学はやっておけとアドバイスする。

社会学は宮台氏とオレが、奴が小学校低学年の頃からの知り合いであることから、興味はあるらしく、概論をとっていた。就職のことを考えて、地方自治法地方公務員法国家公務員法は勉強しとけよというと、そのつもりだったらしく、頷く。

政治学では、何をやっていると聞くと、イギリスの政党政治新自由主義をやっているという。つい、この国をボロボロにしたのは、行過ぎた新自由主義のせいさと、一言いってしまう。深く語るには、もう少し時間がいる。

しかし、ようやく、こうした政治学社会学、心理学などの話が息子とできるようになってきた。サークルは絵画研究会に入ってる。絵はどうなんだというと、11月の大学祭には出品するらしい。外部展へは出さないのかときくと、まだ、そこまで自信と気合が入ってないように見えた。油なら、コツコツ書けるから、時間がかかっても出してみるといい。そう励ます。実は、オレは息子の絵の才能を認めている。

食事の間、あれこれ話たが、終わると、奴は、すっと二階に消える。男子とはそういものだ。

相模大野高校のすぐ近くの自宅は、伊勢丹裏の公園を抜けて駅に徒歩で行き来できる。息子が幼い頃、小学生くらいまでは、連休にどこへも連れていってやれなくとも、その公園に連れていけば、それだけで喜んでいた。それが、もう20歳だ。まさに光陰矢のごとし。

そんなことを思い浮べながら、乃木坂へ戻る。

大学生の息子にアドバイスできることは、かなりある。しかし、中高生の頃と違い、オレは、あえて、アドバイスらしきことをしていない。一言二言苦言をいってはいるが、これからの経験は、他人と交わりながら学ぶしかない。オレのアドバイスよりも、そうした中で出会う、言葉や経験の方がきっと身になる。

オレと似ているところは、傷ついてみないとわからないというところ。どこか頑固なところが似ている。
きっと、オレが失敗や挫折を経験してきたように、あれこれ生きづらいだろうが、オレの息子で生まれてしまったのだから、それも仕方ない。もう、これからは、奴の人生。それを乗り越えてこそ、男だ。

これから、オレがそうだたったように、オレにも、母親にも語れない、多くの思いと哀しみに出会うだろう。その哀しみを生きる中で、人間としての大切な何かを、自分の手で、見つけ出して欲しい。

今日は、一日、心地よい風が吹いていた。台風の影響で波はまだ高かったろうから、江ノ島から船を出すのはできなかったかもしれないが、格好のクリージング日和。

帰り際、自宅の書庫から、『熱海殺人事件』を取り出し、一読みする。「海がみたい…」そのキザなセリフが大事なモチーフになっている、いまや古典作品ともいえる戯曲。

この晴天と風なら、誰だって海がみたいと思うだろう。

オレの舞台作品の中で、『海のように、波のように、風のように』という芝居がある。地方から出てきた男女の相模湾江ノ島を舞台にした悲しく、せつない恋の話。『熱海…』に強い影響を受けてつくった舞台だ。

そのときも、オレは自分の中にある哀しみを、だれにも語ることはできていなかった。だから、芝居に明け暮れるやくざな生活の中で、いつも、海がみたいと思い続けていたのだ。

それは、いまも何一つ、変っていないのかもしれない…。