秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悲しいときには、ほほえみを

女優の内田悠子とYoshiで焼鳥をつまむ。

最近、現場仕事がなく、不安でいっぱいといった面持ち。あれこれ方策はあると思うが、一旦、自分はダメなんじゃないかと、自己否定の世界に入ると、悶々としてしまう上に、他人へ仕事のことでアプローチして、面談を断わられるのがこわい。それだけで傷ついてしまう弱い一面があり、積極的に行動できるように見えて、微妙にできないところがある。

実は、秀嶋組関係の役者同士で集まり、情報交換をしたり、自分たちで何か一緒にやれることはないかと話し合いを持ったりしたらどうだと薦めているが、ややパニクってる奴には、それができない。

あれこれ悩むと、だれもでそうなるが、いまは狭窄視野の土壷にはまっているように見えた。

いま、ある芸能プロダクションからワークショップの依頼を受けいていて、それに、秀嶋組関係の役者も組み入れようかと算段しているところ。そうした話などが前へ進んでいけば、少しは安心なのだろうが、オレの方は、いま自主制作作品のことやら、あれこれあって、詳細が詰まるのは今月末。奴には悪かったが、はっきりとしたことが伝えられる状態ではない。

いくつか手掛かりになればと、オレの事情も含め、あれこれ話はしたが、決めるのは奴だし、歩むのも奴。いろいろな意味で、奴は、節目を迎えているのかもしれない。話を聞いていると、選択は二つしかない。しかし、それは、オレが決めることではない。自分で考え、自分の納得する道を歩むしかない。

Yoshiで、しっかり焼鳥も食い、最近糖尿病で体調の悪いオヤジさんがサービスしてくれたつまみで、すっかりできあがり、そのまま帰ろうかとも思ったが、奴は、大江戸線に乗るのに、青山一丁目が近い。ならばと、Redに顔を出す。

昨日に続き、ネーリストのKが顔を出し、ベティが会社の上司を同伴して現われる。女性陣と話すうちに、酒も進み、内田も少し元気になっていた。

やや遅くに、カリスマの美容室に復帰したKが、しゃっくりがとまらなくなって、シャックと仇名をつけられたという、青森津軽の出身のスタイリスト、個性派ジョーを同伴して現われる。

メグも仕事終りで、オレ、ネーリストK、美容師K、ジョーとテーブルを囲む。東北弁が比較的得意なオレが東北弁を話すと、よく知ってますねと、ジョーの顔がほころぶ。東北弁とフランス語は似ていると、我流フランス語をしゃべると、バカ受けする。はては、Youめが、できるだろうと、北朝鮮放送ってどんな感じでしたかねとオレにネタをふる。で、ついつい、タモリ風に戦闘的北朝鮮放送を、これまた我流の朝鮮語でやるとバカ受けする。

Youの奴、よくオレがこうした芸を持っていることを見抜いたものだ。

人には、それぞれ、育った環境やこれまで生きてきた中でのいろいろなトラウマがある。それが、他人とうまく付き合うことを妨げたり、周囲はそうでもないのに、自分が否定されるのではないかとか、疑心暗鬼になり、受け入れられていないのではないかと不安になったり、怯えたりする。

だれかに認めてもらいたい。褒めてもらいたい。それは、だれしもが願っていることだ。しかし、それは、とんでもない努力や苦労をしなければ手に入れられないもののような気がしない。

ほんの少し、自分のこだわりや、自分を守るために意固地につくっている自分の殻を取り外せば、肩の力も抜ければ、人とのかかわりも楽になるし、昨夜のように、ジェークを飛ばしながら、互いの距離を詰めることもできる。まずは、飛び込んでしまうということだ。

しかし、それがわかっていても、つい身構えしてまうのが人というもの。まして、気持ちがへこんでいるときは、どうしても肩に力が入り、ぎこちないふれあいしかできないということもある。

そういうときは、どんと悩みを放り出して、笑いの中にいるのがいい。

韓国の唄で、『悲しいときには、ほほえみを』という民謡がある。日韓併合の時代、朝鮮半島の人々によく歌われた唄だ。母国語を奪われ、主権を蹂躙される苦しい生活の中で、人々は、この民謡を歌い、傷ついた心を互いに癒しあっていたという話がある。

人が生きて行くということは、一切皆苦。苦しみや悩みが絶えることはない。しかし、あきらめず、投げやりにならず、悲しいときでも、笑顔を忘れないでいようという心を保つように努めれば、きっと、いつか、暗いトンネルから抜け出すこともできる。

暗いトンネルに永遠はない。陽の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情に過ぎないのだ。