秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人の役に立つ

人の出会いや縁は、心の持ちよう、かかわりようでいかようにも変る。

人に役立つことがあればと、愚痴や不満、焦りや怒りに耳を傾け、その人の望みにできるだけ応えられればとふれあい、よりよき道を歩んでくれたらと、あれこれアドバイスしても、それが通じないときもある。

通じたとしても、一瞬、胸に落ちるだけで、再び、自分が、みすみす、傷つくという道へ後戻りする人もいる。傷つかないまでも、後で、後悔や自責の念に責められてしまうことをやらかしてしまうこともある。「ああ、またやってしまった」という繰り返しをやってしまうのだ。あるいは、「言われた通りにしていれば…」ということをやってしまう。

あるいは、自分を振り返ることがいやだからと、流れに身を任せて、お手軽に生きる道を選ぶ人もいる。
物事を深く考えないようにして、即物的に生きるという道を生きる人がいる。

それも、これも、苦しいからだし、せつなかったり、辛かったりするからなのだが、人間、自分の弱さやイタイ一面は、人目にふれさせたくないから、陽気で明るく、平気のヘイサを装う。

ことほどさように、人の役に立つというのは難しい。

しかし、人に役立つことがあればと、心を砕く側にも、あれこれ問題はある。その人の役に立つと自分が思った声かけやふれあいをしても、それが、相手の望む、声かけやふれあいになっていなければ、期待に応えられない。

人の性格や抱えている問題、やろうしている仕事や生き方によっても、役立てることがあれこれ違う。一律にこうだという方程式がないから、相手の立場にならなければ、適切は声かけも、ふれあいもできない。しかし、この相手の立場に立つということが難しい。

とりわけ、人は、すぐの結論や結果を求めたがる。だから、心のあり様の方がはるかに重要だというのに
なかなか気づけない。執着から自由になることができないのだ。「いいの! 私は、これしかできないんだから!」「どうせ、こんな人間よ!」という開き直りにもなる。

そうなるのは理由がある。

基本、人の役に立とうとすることは、どこかで、人を自分の思い通りの生き方に添わせたいという支配と隷従の関係にも陥りかねない危険があるからだ。だから、押し付けや力にもなりかねない。しかし、あえて、支配と隷従的関係にしておかないと、通じない言葉や思いもある。

ことほどさように、人と人がよきかかわりを持とうとするのは、難しい。

しかし、その難しさをあえて生きようとしなければ、いわゆる相互扶助や助け合い、他者への思いやりややさしさというのは育ったない、と思う。

だが、ただ、きれい事としての相互扶助や助け合いではダメだ。それは、人と人の関係の深いところの落ちていかない。人間というのは、本来、邪な感情や淫靡で、陰湿な内面を持っている。それをいろいろな理性や知恵で乗り越えようとして、建前を必要とする。が、しかし。その建前では、人と人の関係は深いところには落ちないのだ。

昨夜、Redで軽く一杯と顔を出すと、だれもいない。

政権交代の影響がここにも出ているのかと、Youと昨今の景気やらなにやら、語り合っていると、超デカ声の女からYouの携帯に電話が入る。

「監督、あの、葛西の…」。
「ああ、オレが外見と名前が一致しないと、会う度にいたぶっている、あのマチルダね」。

その彼女が同僚たちと野球観戦した帰り、道すがら拾ってきたという、アイダホ出身のアメリカ男子を同伴して現われる。

あれこれ英語が飛び交い、マチルダを落とせないとあきらめたのか、アイダホが帰った後、早上がりした19歳のメグをはさみ、オレ、マチルダ、Youで激下ネタトーク。ネーリストのKも登場し、これが女性、及び未成年娘がいるとは思えない、エロトークへとエスカレートする。

断酒宣言をしたハマがいたら、大喜びしただろう。

が、しかし。こういうことだ。人と人の深い関係は、こうした下ネタやエロ話の中にもある。女性陣にもよるが、それが許容できる相手であれば、こうした会話は違う形で人を近づけることができる。インテリジェンスがなければ、その危うい会話をいい会話にはできない。

しかし、近頃は、本当に女性の方が現実を見てるいるし、しっかりしている。これだけのエロ話に、だれもめげない。たいしたものだ。怒られるだろうが、オヤジ仲間と飲んでる錯覚に陥る。

帰り際、ふとマチルダが、2.26事件、三島の話を持ち出す。さすがわマチルダ、2.26事件を、225と間違える。なんでも、オヤジが好きらしい。聞けば、奴め、オレのHPやブログをかかさず読んでいるという。

あなどってはいけない。人の役に立つ、人と人の関係を深いところに落とすには、やはり、下ネタは大事なのだ。