秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悲しみをたくわえながら

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昨夜は、教育映像祭優秀賞の受賞記念で、Redのコア常連たちが、酒宴を開催していくれる。

発起人は、カリスマとハマ。仕掛け人は、You。秀嶋組スタッフは、完成試写会で映像を観ていたのと、現場仕事で忙しいのを察して、あえて声をかけなかった。

声をかけたのは、俳優陣。が、しかし、俳優陣も地方公演や撮影などで、集合できたのは、秀嶋組御用達の長部努、内田悠子、舎弟のS。

三度目の受賞をして、一度も祝いをやったことはない。自分から言い出すのは、おこがましいし、申し訳ないと思ってしまうからだ。しかし、Redの仲間たちが祝ってくれた気持ちは嬉しい。

まして、受賞祝いのプレゼントまでもらってしまった。オレは、にっこり、平静な笑顔で受け取っていたが、内心は恐縮しきり。人をめでたり、人のために何かすることは、少しも苦ではないが、事、自分のこととなると、実は、得意ではない。Redの誕生会がいいのは、祝ってくれるにせよ、ほかの連中と一緒で、紛れられるから。

ターゲットが自分ひとりとなると、ほとほと、弱い。恐縮する。オレは、人に感謝されたり、ほめられたり、祝われたりすることに、なれていない。どうしても申し訳ない、申し訳ないが先に立つ。

CHEは、草履。久ぶりに、友人同伴で顔を出してくれたマリは、DHCのスキンケアクリームに、健康食品。イガは、得意のGODIVAのチョコ。カンヌに作品を出したいオレの夢、赤絨毯の切れ端も(笑)。酒豪編集者Rは、結局、会社の接待で顔を出せなかったが、前日に大吟醸清酒。一番乗りのOちゃんは、麻布十番の豆源。ネーリストのKは、生花。ドライかと思っていたオレに、水をやってくださいの忠告。とどめは、イモト。「明るいメタボ」の胸章に、祝いの金メダル。笑かしてくれた。

女優の内田は、オレがプレゼントとしたDEISELのミニをはいて登場。似合う。くれたプレゼントを見て
思わず、スキンか? ついに、オレと一発か!?  サイズが丁度、その大きさ。これには、Oちゃん爆笑。実は、携帯を新しくしたオレに、上品なストラップをくれたのだ。

それ以外で顔を出してくれたのは、前日も一緒に飲んだハマ。遅い時間に駆けつけてくれたトモ、ヒロ。Youの知り合いでまだ、22歳という男子2人。そして、言い出し人のカリスマ。カリスマも照れ屋だから、表には出ないが、この集まり、マジ仕掛けたのは、実は、奴なのだ。オレには、わかっている。オレも照れ屋だから、面と向かってはいわないが、奴の見えないところでのそっとした配慮には、いつも感謝している。

CHEは、オレのマジな仕事を初めて見て、泣いてしまったという。「カントクって、ちゃんと映画の仕事してるんですね」と眼を丸くしていた。いつも下ネタばかりのオレ。そう思うのも、無理はない。

こうした仲間がいることに、改めて、感謝。仕事やプレイベートなことで、顔を出せなかった連中もいたが、そうした彼らにも、感謝している。本当に、ありがとう。


途中、長部と内田に、役者根性の話をする。男優、女優の成り立ち、河原乞食と人々から侮蔑されながら、芝居をやめず、芝居にこだわり、芸のためなら、すべてを捧げた芸人たちの生き様から学べと語る。

前に書いたように、役者とは、生産性のない、社会貢献もない仕事をやる、人からクズと呼ばれても仕方のない人間のことだ。有名になりたい、人前に立ちたい。人に見られたい。その利己心だけで、バイトで生計を立てるのでなく、役者で生計を立てたい。そのためには、極端な話、なんでもできる、やれる心意気のある人間のことだ。

だが、多くの潰れていく奴は、つまらない自分のプライドやこだわりを捨て切れない。どこか、まともな恋愛やまともな暮らしにこだわっている。俳優の仕事以外でも、社会的な評価を求めている。それは筋が違う。

自分の役者としての出世、成長、チャンスをつかむためなら、何でもやる。それが、本来の役者というもの。評論家もどき、解説者もどきになり、「自分は役者よ」と虚勢を張ったところで、体をなげうつ覚悟もないところでは、役者の本質がわからない。

芸、演技の凄さは、個人のつまならない見栄や体裁なんか簡単に越えてしまうところだ。そんなものに執着しているうちは、芸道はない。芸のためだけに生きる。自分の芸を上げる価値がある人間、役者としての自分を成長させ、延ばしてくれる人間と付き合い、それを糧にする。その貪欲さが役者の世界だ。

その辺のちゃらいネェちゃん、二ィちゃんと付き合ったところで、生きる世界は違う。それでは、余芸で役者をやっているアマチュアの心意気をでない。

チャンスはどこにでもあるようで、実際には、ほとんどない。マジメに役者やってば、それでいいというものではない。這い上がる貪欲さ。仕事のないときでも、そういう時間と人を生きるクリエーティブさを生き抜く。それが、本道だ。役者には、投げ出すものは、体しかない。

おそらく、これまで何度も話し、奴らだけではない、オレが仕事で出会った多くの役者に語ってきたことだ。

人並みの暮らし。それが正しい生活だと思う。しかし、人並みの暮らしを求めても、日々変化する時間の中で、それが守られて続ける保証はどこにもない。安定した生活が永久に続くといこともない。必要なのは、人並みないまに安心せず、その生活を守り、育てるために日々、懸命であることだ。

人並みの暮らしは捨ててでも、芸道を高め、磨く生活を求めれば、そこには、刺激がいる。志を忘れず、志を実現できる人間関係、付き合いがいる。芸道を磨くために、あらゆる工夫がいる。つまりは、日々懸命であることだ。

いずれもプロの道。ただ、後者の方が、捨てるもの、犠牲にするものは多い。しかし、それも捨てるもの、犠牲にするものという思いがなくなれば、かなりのプロということになる。たどりつくべきは、そこ。

そんな暮らしの中で、悲しみや痛みをたくわえながら、人は生き、笑顔を見せている。

この不況と政権交代のとき、あれこれ、仕事でも生活でも大変な時期だ。ハマは、CEOが海外から来日で大変なところ、上司のことでもあれこれある。いつもみんなにイジられている明るいイモトもあれこれ思うところがある日々を送っているに違いない。それぞれが毎日を一生懸命に生きている。その中で、こうした集まりに参加したり、思いをくれたりしている。

悲しみや痛みをたくわえながら、人は、前に進んでいる。
それが、美しいのだ。いとおしいのだ。