秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Kさんからヒントをもらう

今期、自主作品の制作費用捻出の相談に、メインバンクへ。なじみの営業さんとあれこれ雑談。

このところ、審査機関の敷居が高くなっているらしい。中小企業支援の目的で創立されたいくつかの新銀行からの融資があったりすると、資金調達に苦労していると判断され、一括整理が融資条件にされるという。もちろん税の滞納や延滞があれば、なおのこと、審査は厳しくなる。

この数年、審査機関のハードルがどんどん高くなっているのだ。

焦げ付きや不良債権をつくりたくない。バブル後遺症、リーマンショックで、それは、金融機関に徹底的に染み付いている。自由競争にまかせれば、当然、自分を守るために、リスクを少なくしようという動きになるのは、当然のこと。しかし、それを放置しまたまにしておけば、中小零細の苦難はいっそう深くなる。

事業の活性化、刷新のために、創意工夫をこらし、知恵とアイディアで乗り切る努力はしなくてはいけないが、それをするための資金がなければ、せっかくの構想も形にはならない。結果、資金力のない会社は、消えていくことになる。そうすれば、当然、中小零細とはいえ、そこに従事していたもの、その家族、下請けや系列で結びついていた、周辺企業にも影響が出る。

企業倒産、破綻、自己破産は増え、雇用は失われ、失業者は増大する。それが、家庭の崩壊、孤独死、自殺、犯罪へとも結びつく。個人消費が落ち込むから、内需は、高まらない。で、外需依存が続き、アメリカの景気動向に振り回されることになる。

おそらく、それは誰の眼にも明白なのだが、いくら政府が旗をふって、支援融資をといったところで、現場で業務に当たる金融機関やそこに働く人間の矜持がなければ、ヘタしたら資金回収に2倍3倍手間のかかるような相手先は敬遠する。組織の中での立場、上司の眼がある。それが、企業心理、人間心理。

どんと強権で、恫喝しなくては、こうした官僚的体質は変らないのだ。

昨夜、お彼岸の小さなイベントに知恵を貸してくれないかと頼まれた、Kさんと、前々からオレの拠点、Redの話をしていて、打ち合わせの帰りに飲もうということになった。もともと赤坂出身。地元だ。

Kさんは2代目社長なのだが、バブル期に先代がやった不動産投資で、多大な借金を抱え、若くして、その借金を背負う結果となった。10年かけて、やっと半分以下にまで減らしたらしいが、その苦労たるや大変なものだったろう。オレたちが資金繰りで悩む金額とは、ケタが違う。しかも、50人からの従業員がいる。

青年会議所でもネットワークづくりにがんばったらしいが、当時の仲間で、順調に経営していた会社が、最近、次々に倒産しているという。

政治家や財界の中枢にいる人間、官公庁に勤める公務員、大手にいる社員たちには、不況の実感はあっても、会社が倒産するという経営の前線にいる経営者の苦しさは、頭では理解できていても、実感することはほどんどできない。オレ自身、役員をやっていたとはいえ、実感できなかったことがたくさんあった。実際に小さな事業をやって、初めて、社長というものの大変さが実感できたのだ。

それほどに、いま大不況の嵐が吹いている。民主党補正予算の未執行分の停止を官公庁に指示したが、それは実行するにせよ、政権交代が落ち着くまでの2ヶ月。この状況に即効性のある施策を、いま、出さないと大変なことになる。それを熟知した上での執行停止をしているのか。どうもその辺が疑わしい。

中小零細の苦難、リストラや非正規雇用の苦渋、そして、生活難。それらを実感できないのは、人々に他者との絆や痛みを共有できるふれあいが欠落しているからだ。他者を、隣人を思う心が育っていれば、それぞれの社会的立場の中で、自分の役割、使命をまっとうしようという志が生まれる。それが、日常のレベルで、自分が他者のために役立つことをしようという意欲にもなり、状況を変えるための努力をみんなが惜しまなくなる。

状況を変える力は、実は、そんなところにあるのだ。

墓地、仏具など、葬儀セレモニーにかかわる仕事をしているKさんから、最近、埋葬の仕方、墓所のあり方が大きく変ってきているという話を聞いた。

家族が家族である。家族の絆が子、そして孫、ひ孫へと継承される。その基盤が失われ、親戚縁者を含む
地域共同体の関係がなくなってしまったいま、昔のように、墓地、墓石を購入し、いつでも子どもたちがお参りに来れるような環境をつくろうという意欲が薄れているというのだ。

少子化で子どもが、養子にいくこともあれば、嫁いで別の家に入るなどということが、当たり前になってくると、墓所そのものを守る人間がいなくなる。親戚縁者や地域との人間との関係が希薄だから、つくった墓所は、無縁仏ともなりかねない。

そこで、樹木葬、散骨葬など、墓所を持たない葬儀や埋葬の仕方が増えているという。つまり、家族、親族、共同体との縁が切れ、社会から絆というものが失われている象徴のように、死にも、人生の終り方にも孤独と孤立が広がっているということだ。

Kさんとの話は、実によかった。前々から知り合ってはいたが、彼の方からいろいろ声をかけ、オレの特性を生かそうとしてくれる。こうした出会いは大きい。

もう一人、オレの特性を生かそうとする酒豪編集者R。今日の試写会に参加できないかもと、オレがいるとは思わず、前日の昨夜、大阪帰りのみあげの酒を届けに来た。奴に、もっとじっくり聞かせたかった。まさに、いまオレたちがやろうとしている本のテーマだ。

企画書をもう一度見直したいといっていたR。では、おぬしの考えを聞かせよと伝えていたが、忙しさで、やれていない。バツの悪そうな顔。

文章にするまでのことなのかどうか、奴がそうしたいというからそれにまかせているが、忙しい奴のことを考えると、とりあえず、口頭でもと思いつつ、奴がやっぱいまの忙しさではやりきれないと思うまで、待つことにする。

Kさんと話をして、オレの方はすきっと見えてきたものがある。今夜の試写会、遅い時間にベロベロで現われそうな奴だが、それだけは伝えようと心に決める。