秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いのちの尊厳

時代が大きく変ろうとしている。この国の政治、社会システムも変ろうとしている。

やっと、国民に眼を向けた、国民の監視と意志が反映される国家建設の道が始まろうとしているのだ。

多くの人に、その自覚があるかどうかは別にして、人々は、時代の大きな節目を自ら選択し、その行く末に自覚的に立ち会おうとしている。明治以後、民主主義の中で、野党が政権を担うことのなかった、この国で、それが起きたことは、驚くべきことだといっていい。

戦後64年の政治が大転換をしたのだ。

そんな乱が生まれ、これまでの司法、行政、立法のあり方が大きくパラダイムを切ろうとしているとき、
奇妙なニュースが流れてきた。

押尾学の保釈だ。

東京地裁は、押尾が逮捕当時の発言を変え、自供を始めていた矢先、弁護団の保釈申請を許すという、ありえない暴挙に出た。検察からの再審理要請にも、応えなかった。

本人ひとりの薬物使用ならば、それも考えられはする。しかし、この事件、人が一人、亡くなっているのだ。

その追求も始まったばかり。まして、マンションを所有していたピーチジョン社長が、マンションを政財界向けの接待部屋にしていたという情報も、真偽のほどは別にして、一部、マスコミで噂され始めていた矢先だ。

まるで、何がしか、ピーチジョンや押尾とかかわりのあった、政財界の関係者を守るかのように、かつ、押尾の周辺にいる友人、知人関係者へ捜査が及ぶのを止めるように、無理くりととられてもいい保釈をやってのけている。

身柄をとられては、捜査が進展するわけもなく、これは、どう考えてもおかしい。さらに、おかしいのは、マスコミがこれを追求しないことだ。酒井法子の事件では、マスコミお得意の執拗な報道がありながら、ここ、ここに至っても、押尾の釈放を伝えても、それはおかしいと異議を唱えるマスコミがいない。

これも不自然極まりない。どこからか、なにがしかの圧力がかかっているとしか、いいようがない。

前から指摘していることだが、この数年の司直の対応は、一貫性がない上に、どこかに明らかな恣意性の臭いがする。

政権交代の報道に紛れて、女性の死すら、臭いものには蓋をするという流れで、葬り去ろうとしているように思えるのはオレだけだろうか。

人一人、亡くなっているのに、その捜査についての記者会見もなく、保釈をしながら、それについての情報公開もない。人のいのちをなんと思っている。そう批判されて当然のことを、平気でやっているのだ。

薬害訴訟の福田さんが、長崎で久間をやぶって、当選したが、そのキャッチフレーズは、いのちを守る、だった。若いし、政治経験はないながら、一年、人々の声に耳を傾け、いのちの尊厳が蹂躙されているのは、薬害被害の人々だけではない現実を知り、彼女は、大きく変った。

マスコミ取材への発言を聞いていても、まったく政治と無縁だった女性とは思えない、信念と強さ、そして、国民のための政治という情熱に溢れている。

政権交代の体制が整う前に、駆け込みのように、押尾が保釈される。政治体制が整い、司直官僚機構にメスが入れば、思うにまかせぬところもあるがゆえのバタバタ劇だと読めて、しようがない。

そこに、いのちの尊厳を守ろうとする意志は微塵も感じられらない。いかに、同じ薬物使用者とはいえ、それが無理強いされたものか、自発的なものなのか検証すべきだろう。まして、女性の自宅にあったという薬物が本当に彼女のものだったか。携帯電話を誰が隠蔽したのか。

その追求も反故にされたままで、死者の魂は救われるのか。

裁判所、検察、警察。三権分立のかごの中で、これまで筋の通らないことをやってきたその背後にあるものを、他の省庁と同じく、白日にさらすことをしなくては、国民が選んだ民主党が、いのちの尊厳を守る政治を阻むことになる。