秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

社会の空洞

犯罪の内容が大きく様変わりしている。

もう4年ほど前から、犯罪の質や内容、世代が大きく変っていることを指摘し、警鐘を鳴らしてきたが、それが物の見事に的中してしまった。

これまで核家族化して、ただでさえ、流動性の高い家族状況が生まれていたところに、生活苦を背景として、家族個々の流動化は、いやましに早まっている。

経済的にも、親の教育力の欠如からも、家族が家族を抱え切れない状況が出現しているのだ。また、親世代の高齢化と介護負担の増大から、家族における抱え込みも増大している。

流動性と抱え込み。一見、この二つは矛盾するようだけれど、実は、根本においては、いまの社会を覆おう流動性という一点で共通している。

長い付き合いの名門お嬢様学校K学園のO教授も、たいぶん前、食事したときに語っていたが、授業料滞納の学生が増えているらしい。名門お嬢様学校においてさえ、そうで、そうではない大学、短大、専門学校に至っては、滞納もさることながら、授業料が払えず、休学や退学する学生も増えている。

経済的に支えられなくなれば、子どもは何がしか自活の道を進むしかない。バイトにせよ、フリーターにせよ、子どもが自活の道を早くから選択し、歩まなければならない状況が生まれれば、それまで、経済支援という縛りにおいて、からくも成立していた親子関係は、反故にされかねない。

まして、昨今の親世代は、かつての親世代のように、子どもを抱え込もうとはしない。抱え込まないことが子どもの自立を一層促すことになり、家を軸にして、生計を立てるということ、そのものが成立してなくなっているのだ。

夫婦においては、カップリングの形式が、愛ではなく、経済を背景としているから、こうした不況の時代には、簡単に崩れる。子どもを抱え込まないという前提にある夫婦において、経済の絆がとれれば、その流動性は留めようもない。

こうした状況が高齢者介護の現状にも現われ、母子、父子関係の密室した空間での介護を生んでいるのだ。つまり、実の息子、実の娘が独身状態にあり、周囲に彼らをサポートする妻、夫がおらず、子どももいないという状況で、ひとり親の介護を負担するという状況。老老介護も、周辺のサポートがない状態で生まれている介護の現実だ。

それは同時に、抱え込みながら救済を求めれらないという状況を生み出し、そこに虐待や自殺といった事件を生む要因にもなっている。

この半年の窃盗犯の増大は、まさに流動化し、孤立して生活する男女が年齢にかかわらず、生活苦から起こしている。世代的には、この経済危機で最大の被害者となっている40代以上60代世代が中心だ。

オレオレ詐欺を含め、詐欺事件の加害者層は、その背後に暴力団などの姿はあるものの、実際に実行している連中は、そうした家庭の流動性によって、投げ出された、自分で学費を稼ぎ出さなくてはいえない学生、まともに就職もできず、フリーター化、ニート化している連中だ。

いま、この国には、生きるために盗み、生きるために殺人を犯し、生きるために詐欺事件を起こす輩がいる。薬物の蔓延も、こうした社会状況と無縁ではない。生きられない辛さ、生きる息苦しさが薬物へと人を導くからだ。

どのような失敗や挫折があっても、自分の心の拠り所となる場や人がいれば、人は、ギリギリのところで踏みとどまることができる。しかし、流動性の高い社会では、その拠り所として、帰属できる集団と場、そして、人との関係が希薄だ。その希薄さが犯罪への人々の敷居を低くしている。

まさに、成熟した資本主義社会の典型的な失敗例。

自民党は、民主党批判の内部資料で、自民党は自由主主義社会をつくり、民主党は、社会主義社会をつくると批判の線引きをしている。まさに、卓見。自民党は、やはり、腐っても鯛。

しかし、所詮、腐っているから、いまこの社会に必要な姿が見えていない。

社会民主主義的社会は、実は、日本社会の得意芸。それで、明治維新後の急速な近代化を果たし、かつ、敗戦後の高度成長を実現した。いわば、自民党お家芸だった社会スタイルなのだ。

新しければ、何でもいいものではない。斬新であれば、伝統や歴史、品格は破壊していいものでもない。
いままでよりも自由であれば、それで人は幸せになるものでもない。自由ゆえの厳しさを要求して、人が救えるものではない。

面倒くさく、わずらわしく、気遣いや気配りの必要な社会を、勝ち負けの自由競争に委ねてしまったところに、救いや支援、再挑戦のできない、社会が生まれている。

社会常識を人々に啓蒙し、モラルを回復し、救いや支援が当然とする社会が、社会民主主義的社会であるなら、いま、この国に広がる犯罪を抑止するためにも、必要なのは、そうした社会だ。

オバマはいち早く、それに気づき、環境産業のテコ入れを軸に、政府主導の新ニューディール政策をすでに実行している。自民党は、それが社会民主主義的社会への制度変更なのだということに気づけない。

これに気づけない限り、この社会を包んでいる空洞を回復することは、誰にもできない。