秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

エロスとタナトス

日々運動を心がけているせいもあるが、また、このところの暑さもあるが、やたら睡魔に襲われる。

この間、8月の誕生会で、Oちゃんやハマに話をしたら、やはり、若い頃と違い、睡魔に襲われるという。


子どものころ、親にしかれるようなことをやったとき、オレは、すぐに眠くなった。ふて寝とか、嘘寝ではなく、ヤバイと思うと、自然と強烈な睡魔に襲われた。

大学時代、演劇の勉強をしている中で、心理学と出会い、また、教職をとっていた関係で、教育心理学や児童心理学を学んで、精神医学の世界に嵌っていくと、ますます人間心理に興味が沸き、ついには、ベルグソンフロイトユングなどを独学で読むようになった。

その学習が役に立って、教育や人権、社会問題などをテーマに、子どもの心理を分析したり、それを描く仕事をするようになると、人は、何かトラブルに遭遇したとき、睡魔に襲われるという事実を知って、なるほどなと合点したことがある。

自分の意としない、何事かがあったときに、眠気に襲われるというのは、いわば、ストレスに対する回避行動の一つ。逃避行動といってもいいのだが、とりあえず、目の前にある不都合で、不安要因となっている現実をシャットアウトし、不安と焦燥に襲われ、ハラハラ、ドキドキして疲れ切った脳が休息を要求している状態なのだ。

もっと精神医学的な言い方をすると、死(タナトス)への欲求行為といえる。死と同じ、フリーズ状態をつくることで、物事をリセットしようという人間の本能と、フリーズすることで、次に目覚めたときのきつい状況に対応できる機能を回復しておこうとする防衛本能だ。

これはセックスにも言える。詳しくは述べないが、生(エロス)と死(タナトス)は表裏の関係にあり、セックスはその両方を持ち合わせた人間の欲求行動なのだ。セックスそのものは、エロス的行為であるが、女性がイク、男性が射精する恍惚感は、タナトスに値している。

薬物とセックスが結び付きやすいのも、SMやコスプレ、スワッピングなどというものが、存在するのも、実は、セックスにこの構造が潜んでいるからだ。

ストレスを回避したり、やわらげたりすのに、セックスは実は有用なのだ。もちろん、そこで、またもや面倒な男女関係の問題が発生すると、それ自体がストレスとなってしまうのだが。

この回避、逃避の行動をとれないくらいまで、追い詰められると、ハラハラ、ドキドキの緊張状態が長く続くことになり、それに対抗するために、体も脳も強い緊張状態を生き抜く体勢をとる。つまり、不眠症に襲われ、それがさらに、体と脳を硬直させ、自由な発想を奪い、不安や焦燥を増大させるということになるのだ。

高校時代の尊敬していた英語の担任教師に、「お前は、最後には開き直りができる人間だから、多少のことがあっても心配はない」といわれたことがある。

それほど、強靭ではないつもりだが、それからの人生を考えると、オレは、いろいろな困難な場面で、ずいぶん、大胆に開き直ってきた。英語のあの教師は、よくオレを見抜いていたと思う。

最後には、なるようにしかならない。あれこれ心配したり、悩んでみたところで、それまでの自分の軌跡や考え方が、いま現実にある困難の要因としたら、一旦、そこに身を投げ出し、いまできる最善を尽くすしか手はない。

その開き直りに行き着くまでには、悶々とするが、オレは、悶々が長く続くとそれに耐えられない人間だ。いっそこのことと、最後は体当たりした方が楽という気になる。いままで、怖くて踏み出せなかった世界へ、あえて踏み出した方が楽という選択をする。

今年は、うちの会社だけでなく、映像制作関連の会社は、一部の資金力のある会社を除いて、どこも大変な状況になっている。

しかも、景気の問題ばかりでなく、あわせて、世代代わりの時代にもなっている。今回の選挙は政権選択選挙でもあるが、古い自民党の老醜たちと若い世代だとの世代交代の選挙でもあるのだ。

世代代わりは必要だが、社会の中枢にいる世代が変ることで、仕事の流れが変るということも起きている。

そうした時代に、次の取り組みを見出し、この時代の生き抜くための新しい知恵と工夫が必要。他人事ではない問題を、このところ、あれこれ考えるなければならないことが多い。

変化を楽しむという心がなくては、こうした時代を生き抜けるものではない。その心のゆとりと開き直りのためにも、睡眠は大事だ。