秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

衣裏繋珠(えりけいじゅ)のたとえ

女優で、グラビアアイドルをやり、いま、休業しているKから、連絡をもらう。

奴がまだ17歳のとき、オムニバス形式の薬物防止の教育映画の主役で起用してからの付き合い。うちの息子と同じ歳の奴は、20歳になった。見かけは、22・3歳には見える。

眼力もあり、外見も悪くない。スレンダー系のモデル風。それに、向こう気の強さもあり、女優としての貪欲さもありで、秀嶋組のスタッフ連中にも評判がよかった。性格には、多少問題もあるが、それが女優としての資質にもなる可能性を秘めていた。

演技の基礎をしっかり学び、うまく育ってくれればと期待していたが、結局、時間を焦った奴の気持ちと所属している大手プロダンクションの体質や方針もあり、グラブア向きの体でもないのに、グラビアをやり、アイドル風の売り方をされてしまった。

細かい事情は聞かなかったが、その中で、なにやら悩むこと、トラブルもあったらしく、プロダクションには籍を置いたまま、休業している。いまは、介護福祉士の資格をとるべく、専門学校に通い、介護ヘルパーのバイト中。実家の家業を手伝う気になっているというのが、その理由だ。

若い役者は、男女に関らず、功を焦る。とりわけ、テレビ中心で営業をかける大手プロダクションでは、俳優としての仕事でなくても、バラエティだの、お笑いだの、深夜番組など、内容にかからず、まず、露出させることに奔走する。

確かに。誰かの眼に触れない限り、チャンスはないのだから、露出の多さを求め、女優志願の役者でも、若ければ、水着にして、あちこちの番組に出演させるのは、常套だ。本人たちにも、役者としての自覚がないし、自信もないから、とりあえず、名前を売るためならばと仕事を懸命にこなす。

そんな中で、グラビアから女優としての仕事を増やした連中もいるし、タレントとして個性を発揮する人間もいる。

しかし、気持ちと現実の仕事の違いに悩む女優志願や歌手志望の連中は多い。

何事に限らず、中途半端が一番よくない。グラビアやタレントとしてやっていく決意もなく、かといって、それにいやだときちんと主張して、役者や歌手として、評価されなくても、地道に努力する根性もない。その隙間に、様々な邪気が付け入る。結局、色恋沙汰に巻き込まれたり、都合のいい女状態にされて、本来、やろうとした道から大きくはずれてしまうということも珍しくない。

Kがそうだというのではないが、本来、自分がやろうとしたことと現実との違いに苦しんだのは間違いないだろう。

いくらいい資質や素材でも、きちんと鍛え、育たなければ、華を咲かせることはできない。それには、強い気持ちがいる。育ててくれる人間との出会いもいる。そうした中で、周囲の情報や動きに流されない強さを持たないと、自分の道をしっかり歩むことは容易なものではないのだ。

貴重な宝があっても、それを自覚し、自分で磨く努力をしなければ、成長もないし、変化もない。より広い視野や情報に触れることもできない。こじんまりとした世界の中で、結果、自分が本来、やりたいと思っていたことからは遠く、どこか納得のいかない人生を不満をこぼしながら、歩むしかなくなる。

「衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え」というのが法華経の五百弟子受記品第八に書かれている。

ある人間が、遠くへ旅立つので、親友の家を挨拶に訪ねる。しばらく会うこともないからと、その人間は、深酒をし、いい気分で寝てしまう。親友は、用事があって、出かけなければならず、早朝に家を出るとき、せめてもの餞別にと、行く末を心配し、友人の衣の裏に、落ちないように高価な宝珠を縫い付けておいた。しかし、その人間は、それはとは露知らず、旅立ち、様々な艱難辛苦に直面する。苦労を重ね、やっと落ち着いた頃、偶然、その親友と再会する。そして、衣の裏にある宝珠を換金していれば、いま、手に入っている幸福が、もっと早く自分のものになっていたことに気づくのだ。

「高価な宝を身にまといながら、それに気づけないばかりに、自分はなんと、遠回りな人生を歩んできたのだろう」。その人間は、自分にあった宝に気づけなかったことを嘆き、同時に、これだけの苦労をしなければ、その宝にも気づけない、自分だったことに、はっとなった。

人間、だれしも、他人とは違う能力や可能性を持っている。しかし、それが自分にあるのだと自覚できる人間は少ない。自覚できるために、努力する人間も少ない。

だが、人には平等に幸せになるための宝が、生まれながらに与えられている。それに、どれだけ早く気づけるか、気づけないかで、その人の人生が変る。また、そうした宝となる何かを与えてくれている人の慈悲や慈愛に気づけるか、気づけないかで、その人の幸不幸も決まる。

若いうちは、周囲の情報や見栄、体裁、意地、そして、恥かしさで、なかなか素直になれない。あらぬ苦労や困難を自分から引き寄せ、自分の身近にある宝に気づけない。

遠回りするのも、それはそれで人生だが、遠回りしないで済むものなら、それに越したことはない。遠回りの道中で傷つけ、悲しませる人間も少なくて済む。自分の傷も少なくて済む。

Kが、一人暮しを始めることになって、相談の連絡を寄越してきたのも、オレが奴に散々これまで説教してきたことが少しは伝わってきたからではないかと思う。

役者としてではなくとも、自分の才能を磨くための努力を怠らない人間には、きっと未来がある。