素直が一番
とりあえず、今日いっぱいの作業でひと段落。
先週の金曜日から昨日まで、久々の缶詰め状態。昨夜は、資料作成の先が見えたこともあって、遅い時間にRedに顔を出す。ネーリストのKさんがひとり。彼女も超忙しいらしい。とりわけ男の子が三人。子育てだけでも、重労働だ。
このブログで何度も書いているが、今年は、6月以後、じわじわと真綿を締めるように、景気の悪化が庶民生活に浸透している。倒産、失業、リストラ、減俸。人が少なくなっているから、若い正社員連中は残業に追われて、妻子持ちは、外での飲食を抑え、そそくさと家に帰る。
パート時間も減り、新しいパート先もみつけにくくなり、家庭の主婦はやりくりに追われ、ディスカウントショップや安売りに集まる。企業の夜逃げもあるが、家族の夜逃げもある。住宅ローンを組んでいた家庭では、ローンの残債を残したまま、家を手放す人が続出している。
この7月の忙しさは、繁盛している忙しさではなく、国民みんなが、生き残るために必死になって、忙しくなっているだけ。国民が汗と苦渋をなめているのに、この国の政権は何をやっているのか。
自公独裁政権は、自分たちがやった大判ぶるまいの予算や補正予算が通り、その効果で景気はよくなるし、実際株価は上がり、企業収益には持ち直しが見られるではないかと胸をはる。
実態経済をまったく知らない。見ない。見ようという努力をしていない。政治的にいい成績を上げれば、国民は自公独裁政権を支持し続けると、まだ思い込んでいる。
両議院議員総会は結局、開かれず、懇談会という議決権のない集会を自民党はやることになった。結局、この党は、本気で党改革をする気も、国民生活第一に、政治がどうあらねばならないか、いまの国民生活の現実に真摯に取り組む意欲は、まったくないのだ。
ただこね小僧の麻生は、言葉では威勢のいいことをいっても、恥を晒すことができない。自分たち政権の失策に、心から頭を下げる謙虚さなど微塵もない。だから、党規則にある両議院総会を反故にした。
安倍のときもそうだったが、とにかく、もう、ただこね、お坊ちゃま君たちは、政界から去ってもらおう。生活の現実を知らない人間は、この国では、もはや政治家をやってはならない。
そう思うのはオレだけではないはず。
昔、子どもだったからか、テレビに映る政治家の姿は、どこか堂々としていた。そこには横柄さもあったが、敵としてあっぱれといえるくらい、政治家然としていた。それが、いまテレビに登場する政治家の軽薄さ、愚かさ、調子のよさ、いい加減さ、厚顔無恥さは、限りがない。
いつも啓蒙しているように、だからといって、政治への関心や参加を止めてはならない。こんなていたらくな政治家ばかりだからこそ、国民は自分の政治意識を研ぎ澄ますべきだ。それがなくては、おバカ連中に、この国を好きにされる。遊び場にされてしまう。
おバカな子どもたちにそれをさせないためには、大人である国民が少しでも安全な道へ、政治家を導くしかないのだ。都議会議員選挙では、それが明確に示された。公明党=創価学会をのぞいては。
この数日で、この国の政治の実態がより透けてみえた人々は、きっと多いと思う。
こんな国だからとあきらめてしまうか、こんな国だから、自分がしっかりした意志を持たなければと内省するか、ふざけんじゃねぇと自分の意志をぶつけるか、それは国民一人ひとりに委ねられている。
その道を進むルールは、簡単だ。当たり前のことを当たり前にできる政治を実現すること。私利私欲のない政治を国民のために実現すること。一部の声だけが政治に反映される、いまの社会、政治のあり方を変えること。
政治を変える、社会を変える、それはむずかしいことをやるのではない。だれにでもわかる、簡単なことを、素直に実行することなのだ。
しかし、いまこの国は、この素直に実行することができない人が多い。
人間も社会も、政治も、素直が一番、素顔が一番。
先週の金曜日から昨日まで、久々の缶詰め状態。昨夜は、資料作成の先が見えたこともあって、遅い時間にRedに顔を出す。ネーリストのKさんがひとり。彼女も超忙しいらしい。とりわけ男の子が三人。子育てだけでも、重労働だ。
このブログで何度も書いているが、今年は、6月以後、じわじわと真綿を締めるように、景気の悪化が庶民生活に浸透している。倒産、失業、リストラ、減俸。人が少なくなっているから、若い正社員連中は残業に追われて、妻子持ちは、外での飲食を抑え、そそくさと家に帰る。
パート時間も減り、新しいパート先もみつけにくくなり、家庭の主婦はやりくりに追われ、ディスカウントショップや安売りに集まる。企業の夜逃げもあるが、家族の夜逃げもある。住宅ローンを組んでいた家庭では、ローンの残債を残したまま、家を手放す人が続出している。
この7月の忙しさは、繁盛している忙しさではなく、国民みんなが、生き残るために必死になって、忙しくなっているだけ。国民が汗と苦渋をなめているのに、この国の政権は何をやっているのか。
自公独裁政権は、自分たちがやった大判ぶるまいの予算や補正予算が通り、その効果で景気はよくなるし、実際株価は上がり、企業収益には持ち直しが見られるではないかと胸をはる。
実態経済をまったく知らない。見ない。見ようという努力をしていない。政治的にいい成績を上げれば、国民は自公独裁政権を支持し続けると、まだ思い込んでいる。
両議院議員総会は結局、開かれず、懇談会という議決権のない集会を自民党はやることになった。結局、この党は、本気で党改革をする気も、国民生活第一に、政治がどうあらねばならないか、いまの国民生活の現実に真摯に取り組む意欲は、まったくないのだ。
ただこね小僧の麻生は、言葉では威勢のいいことをいっても、恥を晒すことができない。自分たち政権の失策に、心から頭を下げる謙虚さなど微塵もない。だから、党規則にある両議院総会を反故にした。
安倍のときもそうだったが、とにかく、もう、ただこね、お坊ちゃま君たちは、政界から去ってもらおう。生活の現実を知らない人間は、この国では、もはや政治家をやってはならない。
そう思うのはオレだけではないはず。
昔、子どもだったからか、テレビに映る政治家の姿は、どこか堂々としていた。そこには横柄さもあったが、敵としてあっぱれといえるくらい、政治家然としていた。それが、いまテレビに登場する政治家の軽薄さ、愚かさ、調子のよさ、いい加減さ、厚顔無恥さは、限りがない。
いつも啓蒙しているように、だからといって、政治への関心や参加を止めてはならない。こんなていたらくな政治家ばかりだからこそ、国民は自分の政治意識を研ぎ澄ますべきだ。それがなくては、おバカ連中に、この国を好きにされる。遊び場にされてしまう。
おバカな子どもたちにそれをさせないためには、大人である国民が少しでも安全な道へ、政治家を導くしかないのだ。都議会議員選挙では、それが明確に示された。公明党=創価学会をのぞいては。
この数日で、この国の政治の実態がより透けてみえた人々は、きっと多いと思う。
こんな国だからとあきらめてしまうか、こんな国だから、自分がしっかりした意志を持たなければと内省するか、ふざけんじゃねぇと自分の意志をぶつけるか、それは国民一人ひとりに委ねられている。
その道を進むルールは、簡単だ。当たり前のことを当たり前にできる政治を実現すること。私利私欲のない政治を国民のために実現すること。一部の声だけが政治に反映される、いまの社会、政治のあり方を変えること。
政治を変える、社会を変える、それはむずかしいことをやるのではない。だれにでもわかる、簡単なことを、素直に実行することなのだ。
しかし、いまこの国は、この素直に実行することができない人が多い。
人間も社会も、政治も、素直が一番、素顔が一番。