秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いのちを削る

昨日は、久しぶりに丸一日体が空いた。

しばらく休んでいたウォーキングをやり、シャワーを浴びて、一息ついたところで、アカデミー賞女優ケイト・ウィンスレット主演の『恋を読む人』(原題朗読者)を観に行こうと思ったが、久しぶりの何もない休日に気がゆるんだか、ふと睡魔が襲う。結局、だらだらと一日をまどろみながら過ごす。

そのだらだらを取り返すように、今朝は早朝からボランティアに出かけ、行きと帰りの自転車で一汗。半日、ほぼ立ちっぱなしで、疲労困憊だったのだが、ずいぶんご無沙汰をしてる、日本NGOグループJENの支援者の集いの案内がきていたので、シャワーで汗を流してから向かう。

企業でいえば、株主会議みたいなのも。いかにも支援団体らしく、新宿中央公園の路上生活者が集まる場所の裏手に、区民センターがあり、そこでの開催だった。昨年も案内をもらっていたがいけず、4月終りに事務局長で、日経ウーマン大賞を受賞したこともある、古い付き合いのKさんから、スーダンの支援視察後に、久しぶりに飲みたいと手紙をもらっていた。

報告会が終わる頃に参加し、懇親会前にKさんと立ち話。オレの姿に、最初、だれかと思いましたよ!と、驚く。彼女と直接顔を会わせたのは、もう5年前くらい。その間、メールでの連絡やJENへ些少なカンパをする度に、彼女から丁寧なお礼の一文をいただいてはいたが、いわれてみれば、かれこれ5年も会ってなかったのだ。

確かに、それでは、オレの変貌ぶりに驚くだろう。この5年で、オレはますますぶっちゃけに拍車がかかっている。仕事のことやら、最近の取り組みやら、もっと話したい、聞きたい、積もる話もあったのだが、なにせ、支援者の集まりで、彼女も忙しい。

結局、話もそこそこに、懇親会になり、そこで声をかけられた、社会人から再入学し、うなぎの生態を東大大学院で研究しているという博士課程の青年とあれこれ支援活動とは関係ない話をやり、JENの無償役員をやりながら、大学の非常勤講師、税理士で食べているという人と、横浜で食堂をやり、日雇い労働者を支援しているNPOの取り組みの情報やら、アメリカのセカンドハーベストの取り組みやらを語り、そこそこに退散した。また、落ち着いたときにでも、彼女とはいっぱいやりたい。

クロアチア紛争の頃、スタッフとして空爆が続く現地いた彼女に、広島アリーナに1万人を集めて開催した平和イベントへのビデオレターを送ってもらった。アメリカやNATO軍の軍事介入では問題は解決しない、それでは、犠牲になる高齢者、女性、子どもたちのいのちを救えないと彼女は訴えた。武力以外の方法でも平和は構築できると会場に参加した人々に語りかけた。

女性NPO職員ですごい女性がいるというのは前々から聞いていたが、初めてビデオレターでその考え方、話し方、声を聞いて、この人とはこれからも仕事ができると確信した。それ以来の付き合いだ。

丁度、今日は、国立競技場で石原裕次郎の23回忌のイベントが開催されていて、競技場付近は、神宮の花火大会並みの人で溢れていた。自転車で通り抜けることもできない。石原プロモーションはぼちぼち解散するという噂もある。その最後の花火を打ち上げたいための企画イベントなのだろうが、いかがなものか。

過去を懐かしむことも、心を弾ませることがないゆえに、心を癒されるものを求める気持ちがわからないではない。しかし、過去の終わってしまったものを、ただ懐かしむだけで未来は拓けるのだろうか。そんなゆとりのあるのは、定年退職まで逃げ切って、しっかり年金保障もある団塊世代くらいのものだ。

いまある現実に過去の知恵、経験がどう生かせるか。いまある問題の根源を探るために過去を紐解く。その姿勢や心のないところで、なつかしさだけで振り返る過去は、自分だけのものに過ぎなく、いまを生きる人々への、生きたメッセージにも、教訓にもならない。

Kさんは、長く海外の紛争地、被災地の救援活動をやる中で、紛争や天災によって、失われた人々の心を回復するために、過去から、現在をみつめ、そして未来へつなぐ答えを求め続けている。他者のために心を砕いている。いつ死んでもいいという覚悟で、いのちを削っている。

あの平和なときがよかった。貧しいけれど夢があった、あの時代がよかった。それでは、いまある貧しさにも、その貧困や困難を生んでいるものの姿も見えはしないからだ。

自分の体と心をつかい、そうした現実に立ち向かっている彼女の姿を見ると、国立競技場の異様とも思える人波に、思わず溜息が漏れた。こんな脳天気な人々に使われ、オレたち世代がどれほど苦労したか。この国がどんな国になったか。

折りしも、今日から城山三郎原作の『官僚たちの夏』が連ドラになって放映される。かつて、NHK中村敦夫主演でスペシャルドラマ化された作品だ。あそこにいた日本人、団塊世代の一回り上の日本人たちは、明らかに、過去の戦争から深く学び、自分ではなく、国のために、国民のために、いのちを削っていた。

あのときの日本人たちは、自分たちが銀幕で憧れたアメリカ的スターのイベントに4時間待ちで行列をつくる、暇と時間とゆとりがあったのだろうか。過去をただ、懐かしんでいただろうか。

自分以外のことに、心を砕かない人間は、国は、いやしい。