秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

思い残し切符

訂正した書籍の企画書を酒豪編集者Rへ送る。

前回の企画書で、具体例を都合上はぶいたこともあって、論が勝ちすぎているという指摘があった。難関だとも。で、Rや版元が望むのは、こうした切り口のことかと、オレの方から構成組をわかり易く書き換えたのだ。

この間、たまにいく中目の飲み屋のママとの話をブログに紹介したが、別に頻繁に会い、何度もこの国のあり方を語り合ったわけでもないのに、オレが次の本で書きたいと考えていることを、市井の飲み屋のママが、自然に言葉にしている。それは、ママに限った、特別なことではない。ごく普通に生き、いろいろな人間の表情や生活、そこでの悩み愚痴と直面すれば、いま、この国に何が欠け、何を失い、何を回復しなければならないかは、すぐにわかる。

いまの時代の空気、大衆の感覚、言葉にならない漠然とした欲求。それらをいち早く見抜き、形にして、提示してみせるのが、仕掛け人といわれる仕事をやる者の醍醐味だと思うが、どうも食いつきが悪い。逆に、仕事や飲み屋で出会う人間、生活者の方が、ビビッドにオレの言葉に反応する。会話で語るがゆえのわかりやすさ、伝えやすさがあるからだが、実は、オレが感じ、考えていることをみんなが実感しているからなのだ

しかし、本にして読むということになれば、扱っているテーマがテーマだけに、本が寄って立つ根拠、原理原則は明確にしておかなければならない。論点根拠も、理屈であるとはいえ、きちんと指し示す必要もある。理詰めで解説する必要も出てくるのだ。日々、いろいろな教育、社会、人権問題と渡り合っているオレからすれば、具体的なことはわかっているがゆえに、その背後にある構造や真相を描きたいという欲求が強い。

だが、Rたちにしてみれば、オレが承知している生活者の現実、具体的事例が見えないから、オレがいきなり、核心を語ろうとすることに戸惑いと抵抗が生まれる。オレがもうわかっていると置いている、そこを語ってくれよ、ということになる。それももっともなことなのだ。

そんなこんなで普請した、企画書をRに送り、ちょいひと段落したところで、Redへ。

雨の金曜日。客の足は少なく、結局、客としてきていたお手伝いのE、召集で顔を出した、Redの裏に住むヒロとオレの三人で、閉店時間まで飲む。先週末は、あれこれ大変で、人で溢れていたが、こうして穏やかに飲むのもいい。

途中、酒談義になり、カクテルをつくったことも、あまり飲んだこともない、メグをみんなでからかい、ダイキリをつくらせる。単純だが、結構むずかしいカクテル。Youの手本とは、えらい違う甘いダイキリだったが、オレたちが、それを酒のつまみにしているとわかりながら、懸命に挑戦しているメグはかわいい。すっかり、Redに定着している。

ふと、何かの話から、オレの霊体験の話になった。そういう話が好きなEは、興味津々耳を傾けていたが、いずれ人は死ぬという話になり、順番でいけば、Youのおやじさん、そして、オレとなる。

Redに集っている連中は、ほぼ、オレの年下ばかり。最近、なぜかふと思う。後、10年もすれば、所帯を持つ奴、転職する奴、みんな、いまとは違ったいろいろな人生を生きているだろう。ここに顔を出さなくなる奴も出てくるかもしれないし、あるいは、ここにだけはと顔を出し続けるかもしれない。しかし、それなりに歳を重ね、店の空気も雰囲気も違ってくるだろう。

いま、おバカもやり、議論もし、時には感情的に対立したり、いろいろなことをしながら、歳を重ねていくだろう、奴ら一人ひとりのことを考えると、楽しくもあり、そして、せつなくもある。生きるという体験と重さを積み重ねていく美しさは、はかなさと常に、一緒だからだ。

そして、その風景をきっと、オレは最後まで見ることはできない。そう思うと、年老いていく奴らの姿にいとおしさが生まれるのだ。いい人生を生きて欲しいと心から思う。ときには、厳しいことを言ったとしても。

実は、Rがいつも指摘することだが、いま目の前にいる、奴らのために語ることが、オレの作品の骨にもなり、オレ自身の作品の根拠となっている。そして、オレがRedという場でやっていること、やろうとしていること、それらが少しでも奴らの何かになってくれたら、オレがRedという場で奴らと出会い、生きたことにも多少の意味が生まれる。

井上ひさしの戯曲で、宮澤賢治を主人公にした『イーハートーブの劇列車』という名作があった。オレの高校演劇の後輩が照明のプランナーについていた舞台だ。その中で、ドラマの展開役として、車掌が登場する。

その芝居のラスト。思い半ばに死んでいった、賢治、東北の寒村の貧しさから身売りされた少女たち、戦争に反対し、投獄された思想家や活動家たち、戦争に動員され命をなくした東北出身の少年たち…。そのいろいろな思いを、彼らが使った乗車切符になぞらえ、車掌は、万感の思いをこめて、客席にばら撒く。それは、死んでいった者たちの、この世へ残すメッセージ、「思い残し切符」だ。

多くの人は、自分の人生を万福に生きて終わることはできない。志とは異なる道や死を迎えることもある。しかし、どのような死であれ、そこには、その人間が生きて来た中で成し遂げようとした思いや願いがこめられている。

それを認め、引き受けてくれる奴がわずかでもいえば、その人間の死は無駄ではない。そのいのちの意味を拾ってくれる奴らがいれば、その人間が生きたということに大きな意味も与えられる。

いわば、オレは、Redの連中に思い残し切符を、万感の思いをこめて、渡し続けているのかもれない。