秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

市井の声

2ヶ月近くぶりに物書き、絵描きのMちゃんと会う。

誕生日で札幌に帰省する前に、メシをしようと約束していたのだが、物書きに追われていると、いつものドタキャン。で、札幌から帰省していうことになり、Redの月例誕生会に参加するというから、その流れでとも思っていたが、札幌から持ち帰ったイラストの仕事が終わらず、これでもドタキャン。

ごめんなさいとはいうが、本人には、例によって、まったくドタキャンの自覚はない。しかし、Mちゃんだとそれが許せるから不思議。ゼッタイ、オレにガツンと叱られる! と、怯えていたMちゃんは、オレが例の調子で、正座!とやらなかったのが意外なようだったが。

前々から飼いたいといっていたが、ついに、子猫を飼いはじめた奴の都合を考え、久しぶりの中目。中目にいるときは、いつも立ち寄る和食の「和’s」に行く。Mちゃんが30分遅れるのは見越していたが、案の定、遅れますのメール。

で、店のママとお久で、あれこれ話す。丁度、テレビで麻生の党役員人事見送りのニュースが流れていて、ふと、ママがいった。

「世も据えよ。こんなことじゃ、自分の国なんて愛せるわけがないじゃない。愛せる国にして欲しいわよね。この国に生まれて、生きて、本当によかったと思える国にして欲しいわ。こんな国じゃ、この国から出ていきたくなっちゃうじゃない…」。

たまに店に顔を出し、同伴者相手に、例の調子で、わが日本国は!などと、やったことはあるが、ママと直接、政治や国の話などしたことはなかった。

しかし、中目で、長いこと飲食をやって、オレとほぼ同年代のママが、偶然、オレがいろいろなところで口にし、原稿にもしている思いを、一語一句違わずに口にしている…。

ママは、オレのほか、一人で来ていた常連らしき中年の女性とも意気投合して、「次の選挙は人に入れる選挙じゃないのよ。党に入れる選挙よ。私は民主党に入れるって決めている。民主党がいいわるいじゃない。ダメかもしれない。でも、一度、やらせてみせるしかないの。それで終わるわけじゃないのよ。民主党がダメだったら、やめさせればいい。それで政界再編をやってくれれば。でも、一度、いまの政権を変えないと、何も変っていかないでしょ?」

これも、オレが普段、連呼している内容、そのままだ!

いや、参った。恐れ入った。と、一瞬思ったが、よく考えれば、まともな感性を持った人間ならだれでもそう思う。まして、中高年が多い、ママのような店では、日々の営業の中で、客の声や客の出入りをみて、市井という庶民の生活の、日常の鏡を通して、いまの政治、社会、世の中のおかしさが実感できるはず。

この国のいまの政治のおかしさ、国のあり方のおかしさ、そして、日々の生活の歯車が狂っているおかしさ。それらを実感するがゆえに、こうした言葉になる。

歪んでしまった、ぼくらの国、社会。そして、日々の生活、日常…。

いま、こうした感情、気持ちを持った人が、政界とは無縁のところで、どんどん増殖している。それは、紛れもない現実なのだ。オレがいま、次の書籍にしたいと考えている、この国のあり方への問いと解決へ向けた道筋が、どれほど、市井で求められているかを改めて実感する。衆議院選挙後、早々に出版できたら、本当は、これに勝ることはない。それが、絶妙のタイミングだと思うし、自分のミッションなのだと改めて自覚させられた。

ママは数年前にご主人をガンで亡くし、失意の中にあったそのとき、自分にもガンがみつかり、一時店を閉めていた。いまは元気でなんとか店を切り盛りしているが、身近な人間の死と自分の死の恐怖といった、いのちと向き合う中で、感じたり、考えたりしたことがあったに違いない。死というものを通して、いまの世の中をみれば、そのあり方、生き方に疑問を感じるのは当然なのだ。

で、予想通り、30分が過ぎ、Mちゃんが現われた。なんせ、奴は、約束の時間になって、初めて、あ、そろそろ行かなくちゃ…。と動き出す人間。世界標準時間は奴にはない。久しぶりだったが、相変わらず、オレのツボに応える、トンチンカンな答えと質問で、オレを笑かしてくれる。

9月には、生活の方向転換をしなくてはいけないと考えているMちゃん。いまは、絵画に向かっているらしい。物書きとしての生活を確保するための方策をあれこれ考えてのことだ。たまに、携帯で送ってくれる奴の水彩画を見たことがあるが、群を抜く才能がある。しかし、それを生活の糧にするには、いろいろな知恵と工夫、手助けがいるだろう。

生活者として生きることが不得手なMちゃんは、彼女のことをよく知り、彼女の作品をコーディネートできるアートのセンスのある人間と出会えたら、何がしか表現者として自立できる人だと思っている。本来なら、家族の理解と支援が得られれば、これにこしたことはないのだが…。

しかし、それを阻んでいるのは、奴の幼少期からの父親との確執。ここにも、この国の戦後65年の家庭、学校教育のあり方が影響している。

それを本気で変えることを、オレたちは、政治においても、生活の場においても、人間関係においても、いい加減始めなくてはいけない。いま、多くの市井の人々の心に芽生えている、変革の要求を、それぞれが自分の生活を見直す中で実践しなければ、ママのようないい人、Mちゃんのようなかわいい人を幸せへ導くことなどできはしないのだ。

自分の周りにいる、身近な人たちから、不安と寂しさと孤立感を取りのぞき、頑なさや偏狭な考えから自由になり、互いが互いの抱えた痛みを共有しあえるような社会がなければ、それは、できない。

それを知るのには、市井の人々の輪の中に、身を置くことだ。