秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ほほえみの美学

オレのおふくろは、よく笑う人だった。

笑いのツボがどこにでもあり、ちょっとした冗談でもよく笑った。そのわけは、「あの素晴らしい」の書庫にも書いてあるが、物心付いた頃から戦中、戦後まで、地方の地回りの大棚の家に育ったため、ほとんど生活の苦労がなかったからだ。

しかし、おふくろの笑いは、ただ豊かに育った育ちのいいお嬢さんとしての笑いだけでなく、両親の顔も両親や兄弟、家族のぬくもりも感じられないまま、乳母や使用人たち、大人に囲まれ、養女として育ったこととも関係がある。陽気にふるまうことで、実の家族のいない寂しさを埋めようとし、いつからか、笑うことで幸せな気持ちになれることを学んでいったからだと思う。

オヤジもよく冗談をいい、家族を笑わせるのが大好きだった。84歳になる今年になっても、たまに電話で話ををすると、冗談をいい、よく笑う。ひところは、老人性うつ病で、気弱なことをいい、元気もなかったが、秀嶋家の出身地、佐賀で姉と暮らすようになってから、ずいぶん明るくなった。

うちの家族は、よく笑う家族だった。いま振り返ると、ほんとにそう思う。喧嘩やいさかいも、そして、涙も普通の家族のようにあったが、幼い頃から、質素な生活の中でも笑いがある家庭に育てられたことを、いまでも感謝している。

ラフカディオ・ハーン小泉八雲)が、1890年に来日し、そこで感動したのは、初めて見た日本人のほほえみだった。当時、お雇い外人として来日した、多くの教師たちは、おしなべて、日本人の礼儀正しさと、見知らぬ人間にも笑顔で挨拶をする姿に心を打たれたという。

当時、目が合えば、ほほえみをみせ、挨拶をする。それが日本人の生活の常識だったのだ。皮肉な言い方をすれば、村社会という閉じた生活の中での、見知らぬ他者への怯えや拒絶の意識が、日本人に、敵をつくらない、ほほえみという曖昧な笑顔をもたらしたとも言えるのだが、その心情はどうあれ、裏返せば、人を受け入れ、人とつながるためには、笑顔が大事だということを、かつての日本人はよく知っていたとも言える。

ハーンは、アイリッシュで、大自然とその厳しい環境の中で育った。失明寸前の視力だったことから、幼い頃から他人との関係がうまくやれない子どもだった。フランス、アメリカと生活の場を転々とし、たどり着いたのが日本。そこに、アイルランドと同じ豊かな自然の中で生きる人々と出会った。しかも、西欧とは格段の生活の不便さ、不自由さの中にありながら、質素でつつましい生活の中で、物やいのちを大事にする。そこに感動した。

ハーンにしてみれば、自分という人間をそのまま受け入れてくる、初めての人々との出会いだった。だから、ハーンは、世話役の女性と結婚し、帰化までした。ハーンの心を動かしたのは、日本人にあった、ほほえみの美学だったのだ。

情報社会、ストレス社会となり、そこに景気の荒波が押し寄せ、他者との絆が失われ、友人や知人、家族までもが信じあえない社会となった。いまの日本では、人々から笑顔が奪われている。奪っているのは、日本人自身だ。

盟友といわれ、麻生政権誕生のために、「太郎会」の世話役までやった鳩山と麻生が、西川社長の更迭問題で、互いへの批難をエスカレートしている。政治家のつながりには、利害がつきまとうものだが、この構図は、まさに、いまの日本の人と人の結び付きの希薄さを見事に語っている。

いつでも人が人を裏切る。そして、傷つける。それが政治でも、経済でも、地域でも、学校でも、家庭でも、生活のあらゆる場で、当然のような社会。それが、いまのオレたちの日常だ。

麻生は、選挙を前にして、定例記者会見でも、できるだけ笑顔を、ほほえみをつくろうとしている。しかし、人を信じられない、信じない人間の笑いは、底が割れている。怯えさえ、そこには漂っている。

ほほえみの美学とは、せつなさの裏返しなのだ。たとえ、そのほほえみに人が応えてくれなかろうと、裏切られようと、ほほえむことで人をつながろうとする努力を虚しさの中でも繰り返す、せつなさと一緒なのだ。

オレの親たちが、笑顔でいようとしたのは、笑顔でいようとしなければいられない生活の大変さがあったからだ。ハーンが心を動かされたのは、せつなさの中で、自分は心を閉じているのに、生活の大変さの中にあっても、笑顔を絶やそうとしない人々の、その笑顔の向こうにあるせつなさを感じとれたからだ。

「悲しいときには、ほほえみを」という、韓国の古い歌がある。日本に併合され、言葉を奪われ、民族の自立を奪われていた時代、民衆の苦しみを日々の生活の中で耐え抜くために、人々が口々に歌っていた。そのせつない思いの中にこそ、ほほえみはある。ほほえみの美学がある。

どんな試練の中でも、人を救うのは、その試練の苦しさと辛さとやり切れなさを知った、ほほえみなのだ。