秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

現実に立ち向かう

あれよあれよと、神戸・大阪の関西地域で新型インフルエンザが広がり始めている。

水際対策が万全でないことは、新型インフルエンザ発生時からわかっていたことで、地域の医療体制を確保するための時間稼ぎ、というのは厚生労働省も織り込み済みだった。結局、当初予想されたように、感染経路も特定できないまま、兵庫県の高校を中心に感染が拡大している。

しかし、新型インフルエンザに対する報道は、当初からおかしい。新型がどういうものであるかの情報公開もされず、毒性が不明のまま、メキシコで多くの死者が出ている、さ、一大事と報道され、不明性への不安を一層強くした。

日本での感染が広がる前に、やるべきことは、その情報を持つアメリカ、カナダへ情報公開を求め、客観的事実の検証を報道すべきだったのだ。毒性が弱いことも、メキシコで多くの死者がでたわけをきちんと知らせるべきだった。

新型の実体が見えないから、人々は不安になる。不安になるから、感染者への心無き誹謗中傷、パッシングが生まれる。現実を冷静に直視し、感情的になる心を落ち着かせ、問題にどう対応していけばいいかを考えるゆとりがなければ、不安は不安を増大させ、人々は情報のどつぼにはまってしまう。

情報や不安に踊らされず、現実を受け入れ、立ち向かう。それが、いま社会においても、個人の生活レベルにおいても、きちんとできていない。

昨夜、台本書きをしていると、突然の女から、やはり、突然のメール。で、オレがいつもいく、乃木坂の韓国料理屋で話を聞く。

突然の女は、一月前。自分を奮い立たせようと一人暮しを始めたのだが、生活を始めるについてはお金もかかる。その経済的な現実に初めて直面した。

さらには、今年から仕事内容が当初やっていた部署から営業に移動になり、数字に終われ、提案資料の作成に残業残業の日々。その営業の仕事にのめりこめない自分、仕事への意欲を失っているという現実にも、ずっと悩まされている。

そうなると、当然、将来への不安が過ぎる。転職も含めて、あれこれ思いをめぐらしているのだが、本来、自分は何がしたいのかが見えない。何かをする前に、考えなければいけないことがるのだが、不安のおおもとが何なのかを直視しようとしていないから、悩みの実体がつかめず、ただ悶々としているだけなのだ。

昨夜は、奴にいつになく、辛口に話をした。

不安の中で人は、不安に目を閉ざそうとする。そして、不安の要因を自分ではない、ほかの何かに求める。あるいは、やたら人と会って、不安を打ち消そうと、ひとりの時間を避ける。それは、みんな自分の悩み、現実と向き合おうとしていないだけだ。それが一層、人を悶々とさせる。

そして、もっと自由に、自分のやりたいことをやって、自分らしく生きる道はないのか。現実をみつめずに、そんなことばかり考えるようになる。

しかし、実体は、おおよそ、そうではない。

自分が自分らしく生きられないないのではない。自分が、自分を自分らしく生きようとしていないだけなのだ。だから、悩みが生まれる。

悩みを持つことはすばらしいことだ。変ろうとしてい自分がそこにいる。これではいけないと目覚めかけている自分がいる。悩みの根源を冷静に、深くみつめれば、自分をみつめるしかなくなるのだ。

悩みを他者のせいにしようとしてみても、会社や職場、仕事のせいにしてみようとしてみても、それは、どの会社、どの社会、どこにあっても、必ず不平、不満、不安が生まれる。仕事、恋愛、生活、家族…。その悩みが尽きることはない。

つまり、逃げようとしても逃げる場所などないのだ。だから、いまを否定する前に、いまと自分がどう向き合っているかを考えるしかない。その心のあり方を探る。その中で、自分をみつめ、自分がどういう人間かを知り、どう生きればいいのかを見出すことが必要なのだ。

いい子でいようと自分を殺し、人に好かれよう、みんなから愛されようとするだけが、世の中をうまく生きていくことではない。自分の愚かさ、悪しき一面も自分の特性なのだと腹をくくり、そうした自分全体で、自分らしく生きる生き方、人とのかかわり方を考えることだ。

この世に完璧な人間などいない。いい子でいられ続ける人間もいない。そんな自分、こんな自分と覚悟を決めて付き合っていく。それがなければ、自分が自分らしく生きていける道もない。