秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

無心の美しさ

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前にも紹介した、JR原宿駅明治天皇・皇后の五月の短歌。金曜日、都庁での打ち合わせに向かう途中、シャッターを切る。

「おもい入る こころひとつに よりてこそ さかしき道も わけつくしけれ」(明治天皇

集中して、無心に心を傾けて、取り組めば、難しい問題や試練も乗り越えていけるのです。という意味。

「呉竹の ほどよきふしは めでながら 習ひがたきは こころなりけり」(皇后)

呉竹の節目を見て、美しいものだとほめることは、誰にでもできますが、習うのが難しいのは、目に見えない心のあり方です。という意味。


難局を乗り越える。それがいまの日本社会の常套句のようになっている。確かに難局だ。しかし、この国の政治は、本当に難局を乗り越える気などさらさらないだろうという、おバカなことばかりやっている。

追加経済対策の補正予算審議もそこそこに打ち切り、その内容は国民に広く伝えられないままだ。この法案、実は、政治家主導ではなく、官公庁に試案を丸投げし、官僚から上がってきた各省庁の案をベースに法案をつくっただけ。そこに自公独裁政権の政権維持のための人気取りを加味して、これが国民のための経済対策だと胸を張っている。

たとえば、エコポイントの導入に3000億円をつぎ込んでいるが、大手電化品製造メーカーや大型量販店への救済策にはなっても、それが国民生活の対策にはなっていない。職を失っている人間や非正規雇用で生活の安定していない人間、生活難にさらされている交通遺児家庭、年金を削られている高齢者世帯が、高級電化製品など買えるわけがない。

エコポイントの対象商品の審査事務局は、天下り団体がやり、ポイントを受け付ける事務局もまだできていない。できたとしても、これも天下り組織になる。まさに、官僚が、またぞろ、エコを食いものにしている。

そもそも、エコポイント導入でおいしい汁を吸うのは、自民党に政治献金をしている大手製造メーカーと公明党を支持する、学会員ばかりの企業である、大手電化製品量販店、それに天下りの受け皿が増やせる官僚組織という構図。

今回の追加経済対策は、ただのばら撒きではない。さすがに、自公独裁政権はそこまでおバカなお人よしではない。

その内容は、自公独裁政権が次の東京都議会選挙や衆議院議員選挙で、支持母体の票を固めるためと、国民に少しは景気がよくなっているのではという錯覚を持たせるためだけのもの。現に、財務大臣の与謝野も、自民党最大派閥の町村も、衆議院選挙までに景気は底打ちしても、マイナス成長は変らず、景気が好転するのは来年以降になると予測している。

つまり、5年先の国家ビジョンさえないところで、バタバタと選挙のための金をばら撒いているだけに過ぎないのだ。5年先の国家ビジョンがあれば、減税を含めた経済対策が必要なのは、だれの眼にも明らか。しかし、そこにはまったく手をつけず、国民の税金で得た金と国債の発行で一時凌ぎをし、選挙に勝って、ばら撒いた金を消費税率のアップで回収する。それだけのこと。

税法を改正すれば、それを国会で再度審議し、元の税法に戻すのは至難だ。財務省が首を立てにふらない。つまり、ここでも税を決める自民党税調と財務省の馴れ合いがあるのだ。

折りよく、国内初の新型インフルエンザ患者が関西地区で発生し、いい具合にこの追加予算に仕組まれた企みを見えなくさせる。景気の低迷やインフルエンザに国民の関心が向いているところで、国会承認もなしで、海上自衛隊ソマリア沖海域に派兵し、かつ、定額給付金を支給したところで、航空自衛隊のP3C哨戒機、その発着基地守備に陸上自衛隊を追加派兵する。

どさくさに紛れて、自衛隊の海外派兵の道をより広げ、かつ、実践演習までやらせている。情報収集能力は海上自衛隊のイージスが世界最高峰。迎撃能力も半端ではない。にもかかわらず、P3C対潜水艦哨戒機を投入するのに、何の意味がある。明らかに、海外海域における、格好の実践訓練にしているだけだ。ついでに陸上自衛隊までつけている。これは陸戦を想定したものというのが見え見え。

問題なのは、派兵ではない。憲法の拡大解釈をするにせよ、国会を通していないことだ。国会を通していないということは、国民に派兵の内容さえ、知らせていないということ。つまり、憲法の主権者である国民を無視しているということ。

そんなことを平気でやっている輩に、本当に国民の生活のための政治など、そもそもできるわけがない。利権と選挙と権益と、ご都合主義の政治。それを体よく進めるための情報操作、情報かく乱。それによるマインドコントール。それらが、何のてらいもなく、まかり通っている。

明治天皇の難局にあって、無心に事に当たるという美学も、倫理もない。ただ、見栄えだけ学んでも、美しき心のあり様が学べなければ、美しい政治もできはしない。皇后の歌の意味を、いまに照らせば、そう読める。

あまねく、すべての人々の幸せにすることなどできない、順番によくなるのだと、エセ政治家はいう。
この苦境を乗り越えれば、豊かな未来はやってくると、独裁者はいう。
ある階層が豊かになれば、富は配分されると、エセ経済学者はいう。
強き日本をよみがえらせようと、エセ右翼はいう。

あまねく、すべての人々の幸せができるかどうかではない。そのために、私心とエゴを捨て、人々のために無心に取り組める心であるかどうかが、重要なのだ。

それがないメッセージは、いつかそのバケ顔を白日にさらすだろう。
人は、権力者が思うほど、愚かではない。

最後に、人が心を動かすのは、無心に、あまねく人々のために取り組む、美しさなのだ。