秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人は欲と二人連れ

熊本県に黒川温泉というところがある。

昨日、休憩タイムに映画の放映はないかとテレビを付けたら、まともな番組はひとつもない。で、テレビ東京をひねったら、まるで、NHK番組のようなドキュメントドラマをやっていた。それが、さびれた温泉町、黒川の再生事業にかけた、温泉組合の話。

大分県湯布院温泉の村おこし事業とその成功は有名だし、仕事の関係で、かなり詳しく、その事情をオレは知っていた。しかし、黒川温泉のことは知らなかった。

バブル崩壊の頃、オレは長野県茅野市の観光活性化事業のコンサルタントをやっていた。その頃から、大型宿泊施設と娯楽施設が連動したような高度成長期型のホテル経営や観光事業では破綻するし、現実に破綻しつつあるといい続けた。リゾート法に踊らされた、自然の景観を壊すようなスキー場建設やリゾートマンション開発、ゴルフ場開発が、いずれ、大衆からそっぽも向かれないときがくる、そう確信していたからだ。

八ヶ岳雄大な自然を生かし、地域にある農業資源や畜産資源、地元食材などを観光に取り込み、自然と共生する地域開発のあり方へ、意識を転換すべきと唱え続けた。地元に眠る、こんなものは都会の人にはみせられないと思っていたようなもの、古い生活道具や古い家屋敷、そうしたものを掘り起こせと提言した。自然散策や農業体験で客は呼べると訴えた。廃屋になった旧家を北陸・東北の村々から移築し、戦前の日本の農家の生活を疑似体験できるゾーンを蓼科に再現せよともいった。

つまり、都会の人々のふるさと、田舎にするということだ。地方から都会へ出て、田舎をなくした奴、都会生まれで、帰省する場所のない奴、そうした人たちと地元の高齢者を結びつけ、田舎のおばあちゃん、おじいちゃんになってもらう。都会の狭いマンションやアパートでは飼えない、大型犬をそこに飼い、年に何回か来訪して、ポチと会う。そうした、人同士、食べ物、生き物、その生活全体とのつながりを通じて、かけがえのない居場所にしてもらう。同時に、休耕地となった農地を再生させ、仕事がなくなってしまった高齢者に、その体験と知恵を伝えられ、生きがいがえられる場を提供する。きっとそこには、若い母の子育ての悩みをおばあちゃんに話せる場が生まれ、仕事で疲れた父親が、自分の母親にいたわられるような空気が生まれる。

それができれば、時代は動くと確信していた。しかし、賛同は得ながら、それを具体化できる人材がそこにはいなかった。

黒川の取り組みを可能にしたのは、24軒の温泉旅館が、自分の宿の利益だけに固執する温泉旅館、観光旅館にありがちな、「自分のとこさえ、よければいい」という利己の精神ではなく、利他の精神、地域全体がよくなれけば、自分のところもよくはならないという気持ちにひとつになれたからだ。

人は、欲と二人連れ。オレは、何かのイベントや企画で、多くの人を巻き込まなければいけないとき、よくスタッフにそう言う。

人は利己的であるより、利他的であるほうがすばらしいとわかっている。しかし、自分の立場や地位、保身、物や名声、富への執着から、いいとわかっていても、それを実行に移すことができない。しかし、利他はすばらしいと、そこで正義を語ったところで、人は動かないし、利他への道へ人を導くこともできない。

人は利己的で、そうした執着を持っているもの。言葉できれい事をいうことはできても、いざ、自分の身を削れといわれて、すぐにそうできる人は、多くはない。それを前提にして、物事を進めていかなくては、絵に描いた餅に終わり、それを眺めるだけで、人は満足してしまう。とりわけ、日本人はそうだ。そのとき、どうして、それがわからないの!と怒ったところで、問題は解決しない。わからない人間には、わかるように伝えるか、わかるまで放っておくのがいい。そして、成功事例を見せて、心を動かすしかない。時に、多くを語らない方がよいときもあるのだ。

黒川には、いっちゃってるおじさんが一人いて、その人の行動力が、若い世代を動かし、欲と二人連れのオヤジたちの心も動かした。しかし、それも観光客、利用者が増え、利益が上がるという現実を知ったからだ。

オレが提言して、その後、ある意味、オレの方からも手を引いた蓼科には、その後、オレが提言していた名匠、映画監督小津安二郎記念の『蓼科映画祭』が誕生した。小津は蓼科の別荘暮らしをこよなく愛した。また、北京医科大学と提携した、『蓼科漢方センター』は一時疲弊していたが、いま、健康ブームでJRやJCBのツアーに盛り込まれている。茅野市の観光地を『蓼科高原』と統一する形も定着している。

少しずつでいいのだ。利己から利他へ。対立と主張から、理解と融和へ。その道はそんなに簡単なものではない。しかし、種を蒔く努力をしなければ、その一歩を踏み出すことはできない。そして、種を蒔けば、いつかきっと、その種に水をやり、育てようとする人間が出てくる。

仕事でも、人とのつきあいでも、同じ。種を蒔く、深い愛があれば、それはきっといつか実る。それが実のならないとしたら、種を蒔いている人間に、利他の精神がなかったからだ。

物、金、名声。それに執着していては、欲と二人連れの人の心は動かせない。