秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

メタボの騎士の白木蓮

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うちにはわずかばかりのベランダしかない そのベランダにあるのは 二本のどんぐりの木(写真)

体重が増えたなと思うと 青山墓地を抜け 外苑前の絵画館の周囲1組召瞭擦鮨周して 自宅に戻る 

約2時間 早朝から運動をやる それを二週間続けながら 酒を控え 食事を気をつけると 5繕瓩落

ちる 落ちなくても メタボの騎士の妊娠3ヶ月の腹がへこむ

この1ヶ月 まったく運動ができなかった今朝は 台本も終わりが見えてきたので 久しぶりに汗を流し

た やはり 気持ちいい ちょい休み過ぎていたから すぐに疲れたが このだるさも心地いい

外苑前はイチョウが有名だが 実は第二球場の周囲にはどんぐりの木が たくさんある 外苑前の森には

リスもいるのだ

昨年 あまりにどんぐりの実が落ちていたから よさげなものを5つばかり拾い ベランダの小さな菜園

に植えた すると ある日 まさに 「トトロ」のアニメのように 何もなかった土の上に どんと枝を

出した 

以前にもどんぐりを育てたことがある 息子が誕生した年だった

オレは当時 自然保護団体で 木製製品の製造で有名な富山の山の中でやっている「どんぐりの会」のメ

ンバーだった そこが植林運動として メンバーにどんぐりの実を送り 苗木まで育てて 返送すると名

前を付けて 森に植林してくれるのだ どんぐりはブナと同じくらい森には欠かせない木 

息子が誕生すると聞いて 奴のために植えた そして いくつか庭に埋めたどんぐりから ひとつだけが

枝を出した 返送せずにそのまま庭で育てた といっても どんぐりは何もしなくてもすくすく育つ

まったく手がかからない ほっとけば勝手に大きくなる まるでオレの息子と同じだ

息子の成長と同じ歳の19歳どんぐりは いまでも 土地区画整理で庭のなくなった相模原の家の脇で

すくすく育ち続けている 家に戻らない ふざけたオヤジの愛を 息子に無言で伝えられる たったひと

つのものだった
 

もう一つは白木蓮(写真) 春がまじかになる時期 この木を見るのが オレのこの数年来の楽しみにな

っている

こちらはさすがに マンションの猫の額ほどのベランダには植えられない

オレの住む乃木坂のマンションは もともと墓地があった場所 外苑東通りの道沿いには

この間 お笑いタレントで ミュージシャンだったウガンダの葬儀をやった浄土宗の寺がある 寺とはい

っても とてもそう思えない10階建てのビル

実は オレの住む乃木坂のこの地域は もう40年近く前に大規模な都市開発がされた場所 そして バブ

ルまっさかりには 墓地まで回収して 合葬の納骨堂をつくり ビルにしてしまった 跡地に立ったのが

オレの住むマンション その脇には いまでもわずかばかり ひっそりと墓地が残っている

そこにあるのがこの白木蓮

まだ 開き切っていないが 来週中頃には満開になるだろう その時は それはそれは鮮やかで 美しい

天気がいいと 抜けるような青空の色とのコントラストで 一層 美しくなる 昨年はこんな感じ(写

真) 自然と 涙が出る

オレのHPに 映画化したいと考えている『蜃気楼の彼方へ』というシノプシスが掲載してあるが そこ

に登場するのが この白木蓮

木蓮には 際立つ香りがある 満開の 香り豊かな白木蓮を眼にすると 春になり きっと何かいいこ

とが始まる 生まれると 前向きな気持ちになれる が 一瞬で散ってしまう 刹那花

本当に美しいものとは そういうものだ

しかし 白木蓮は 桜とは明らかに違う

桜のように群れを成す集合の艶やかさがないのに 白という清廉で控え目であるがゆえの美しさがある

一本の木の姿でなければ 美しさを語れないという孤高の気高さがある そして 桜以上に一瞬にして消

えてしまうという執着のない 潔さがある でいながら 通りすがりの人々に忘れえぬ鮮烈な香りで 心

と記憶を残す 残心の美がある また見たい また会いたいと思わせる惹きつける力がある

木蓮は上海の市花 だから 説教好きのMちゃんに あなたはまた上海を引き摺っていると叱られるの

だろうが そうではない

木蓮がすきなのだ

木蓮のような自分でありたい 人間でありたい 男でありたい

オレは本気でそう思っている

人生にひとつだけ 本当に自分が描きたかったものを残したい 人々の心に残せるものを残したい しか

し それが残せたからといって あれもこれもと 執着はしたくない

人の人生は 短い あっという間だ その中で人にできることなどたかがしれている

できることはそう多くはないのだ

だったら 白木蓮のように 一人 静かに佇み 一瞬で散るだけでも 記憶に残る花であれば 

それでいいではないか

もう だれかと同じ生活空間を共にすることも考えておらず

ただ ひとり そういう人間になりたいという「生きがい」だけで あとは仕事に生きようとする中年の

オヤジには それで十分 

一瞬 人の 社会の 世界の わずかな役に立てたと思えれば 個人の幸福など 大したものではない

「世界ぜんたいが幸福になれなければ 個人の幸福はありえない」宮澤賢治の言葉

メタボの騎士は 知る人ぞ知る毒舌騎士で 下ネタ好きの夜はかなりいい加減なオヤジだが 

一応 こう生きるという哲学はあるのだ