秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おくりびと

封切時期が台本の企画と執筆にぶつかり、なかなか観ることのできなかった『おくりびと』を観てきまし

た。

モントリオール映画祭で最優秀賞をとったというので、かなりのロングライン上映になっています。

山崎努の芝居は光っていますが、映画の完成度としてはいまいちという印象です。

アメリカ・アカデミー賞の外国映画部門にもノミネートされていますが、もし、この映画が賞をとれるな

ら、数年前の『フラガール』の方がはるかにそれにふさわしい作品だと思います。

納棺士という死と直面する仕事に従事する、普段、なかなか接することのない世界の人を主人公にし、人

が人を野辺へ送ることの意味を問いかけているのですが、「これはずるいよ」というのが率直な意見。

多かれ少なかれ、40代も過ぎれば、友人、知人の死や親族の死と直面した人は多いはず。葬儀のときの納

棺のときの記憶が蘇り、思わず涙してしまうのは、人情です。そして、身近な人の死を思い返し、作品の

中で描こうとしている人への、いのちへの敬意と畏敬を実感することはむずかしいことではありません。

ぼくも、一昨年亡くした母のことを思い浮べました。

しかし、それと映画で感動する、映画がよくできているかは別の問題だと思うのです。作品の中で、一

部、ふれてはいますが、葬儀や納棺といった仕事に就く多くの人は、かつて同和地区の人や犯罪歴のあ

る、社会に受け入れられず、やむなくそうした仕事に就く人でした。人々がいやがる、いわゆる穢れの仕

事に就くしかなかったのです。そうした偏見や差別がこの作品にも描かれてはいますが、深く踏み込んで

はいません。また、主人公が納棺士という仕事に就く経緯がどうも制作者側のご都合主義で、いいように

辻褄あわせがされていて、あまり、練られていない印象を持ちます。また、山崎努演じる初老の男性が

納棺士という仕事を選んだ理由も、事務員をやっている余貴美子の人生の背景も、また、穢れの仕事は

いやしいと反発して家を出てしまう妻の葛藤もさらりとしていて、リアリティに欠けているのです。

ここでは、石文というロマンチックな設定で、それを交わそうとしていますが、ここの部分はまったく

メルヘンチックで、葬儀屋さんの裏事情を知る人間には、実感も沸かないし、感動もできませんでした。

世間では、相当の話題で、いい作品という声が高いらしいのですが、いや、実際、いい作品だとは思いま

すが、何か映画賞を総なめにするようなすごい作品とはとても思えません。