秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お百度参り2

福岡市の東公園に日蓮聖人像がある。元寇襲来の折、聖人が天に護国を念じ、嵐を吹かせたという謂われ

で建立された像だ。戦争中の神風信仰にも利用された。

いまはどうなのか知らないが、ぼくが高校生の頃まで、その聖人像の足元には様々な願いを込めて、いく

つもの石積みが置かれていた。お百度参りである。

その場所かどうかは知らないが、母は父の病気が奇跡的に治ることを願って、早朝のお百度参りを一日も

欠かさなかったらしい。後年、テレビの時代劇などでお百度参りのシーンが登場するとよく母は、「あげ

なふうにお参りはせんばい。あの人の作法は間違っとう」といい加減な考証を非難したものだ。

病気で倒れるまでの父は料理がまずかったり、何か気に入らないことがあると巨人の星星一徹のように

卓袱台をひっくり返すような気性の激しいところがあった。そんな短気な父が倒れたとき、もう一度生き

たいと涙ながらに母に語った。そして、生きる気力を奮い立たせるように、病床で巡査部長試験の勉強を

続けた。

母は、その中で何度も逃げ出したいと思ったにちがいない。しかし、愛ゆえか、天涯孤独のお嬢さんには

もうどこへも行くところがなかったからなのか、母は逃げ出さなかった。そして、1年後、父は奇跡的に

回復した。その上、その年の巡査部長試験にも合格したのだ。

すべてがぼくが生を受ける前の出来事だ。

まだ幼かったから姉にも記憶はないが、姉は豪華な母方の祖父の屋敷での生活と病苦と貧乏に立ち向かう

若い夫婦の天国と地獄を傍らでみつめていたはずだ。

「どうして姉ちゃんは背が高いとに、ぼくは背も低いし、成績も悪かと?」運動も勉強もでき、学校の人

気者だった姉と運動も勉強も苦手で嫌われ者だった自分とを比較して、母にそう尋ねたことがある。する

と母は真顔で答えた。

「姉ちゃんは小さいときに西戸崎でいいもの食べて育っとうもん。それに、あんたができたときは、お父

さんが病み上がりやったけん、薄かったったい」

意味深なことを母はよくけろりと口にした。

父と母が貧しい中でも映画を観るのが好きだったり、何かの機会には食事のお金をかけたり、ファッショ

に敏感だったりしたのは、ぼくが生まれる前の二人の育ちやそうした人生ドラマがあったからのような気

がする。

「食べるもんまで我慢して貯金してどうするね」そう父が言ったときの父と母の間にあったしみじみとし

た間。宝くじを見て「当たったらいいけどね」「当たるわけなかろうもん」というせつないけど、美しい

笑い顔の裏には、そうした二人だけにしか通じない会話がきっとあったのだと思う。


陽の輝きと暴風雨とは 同じ空の違った表情に過ぎない

人生を暗いと思うときも 辛いと思うときも

私は決して人生をののしるまい


中学時代、本の虫になっていた頃、偶然出会ったヘルマン・ヘッセの詩に不確かだが、そんな訳文の一説

があった。あの頃の大人たちは、この詩にある大切なメッセージを生活の中で、そこはかとなく子どもた

ちに伝えていたように思えてならない。