秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

黒い花びら

 「ケンスケちゃんはだれが好いとうと?」

 女の子3人にそう迫られたことがある。4、5歳の頃のことだ。

 ぼくはたぶん、あの頃から優柔不断だったのだと思う。それに女の子と遊ぶのが好きだった。

 「わーい。女の中に男がひとり~!」とよく同じ歳の男の子たちにからかわれた。けれど、どういうわ

けか、その揶揄はひがみにしか聞こえなかったし、恥ずかしいことだとも思わなかった。いま当時のぼく

とオトナのぼくが出会ったら、きっといやなガキだと思うだろう。

 女の子たちに迫られる原因をつくったのは、どうもぼくらしかった。女の子の中にひとり、かわいいけ

れど、気の強い子がいて、ぼくがどの子に聞かれてもみんな「好き」と返事をするものだから、頭に来た

らしい。その気の強い子の家で箪笥の前に3人が並び、「はっきりしてよ」と迫られた。そして、ぼく

は、気の強いその子を指名した。それが一番簡単に状況を丸く収められると感じていたからだ。それくら

い、ぼくはいい加減に彼女たちの主張を聞いていた。

 「だれを好きかはっきりしてよ」という情熱やもて方はそう長続きはしない。この子たちは互いが競う

中でぼくを材料としているだけなのだ。そんな見方を彼女たちにしていたと思う。だから、ぼくはだれか

一人を選ぶことをためらっていたのだ。だれかを選べば、すべての緊張関係はゆるみ、それと同時に、ぼ

くは彼女たちにとって、ただの関心のない人になってしまう。そして、事実、その後、彼女たちからぼく

は見向きもされなくなった。

 女の子は幼児の頃から男よりかなり早熟なのだ。大牟田の頃を思い返すとどうしてもそう思わざるえな

い。

 確か、官舎の子だったと思う。

 太ももにひどい火傷の痕のある年上の子がいた。小学校の4年くらいだったのではないだろうか。姉も

いっしょにその女の子とはよく遊んだ。顔なじみの子だ。

 官舎の前の畑の中だった。ぼくは彼女と二人で飯事をしていた。夫婦ごっこをして、親の真似を演じる

遊びだ。ぼくはそろそろそれに飽きていたのか、ほとんど熱を入れていなかった。

 どういう経緯でそうなったか覚えていない。

 彼女は、自分の下腹部をはだけると、「お母さんとお父さんは一緒に寝るとよ」といって、ぼくのおチ

ンチンに彼女のあれを押し付けてきた。騎乗位だった。

 その行為がなにを意味しているのか。当然のことながら、幼児のぼくにはわからなかった。ただ、それ

が子どもがしてはならない、大人のなにかいやらしいことだという禁忌な感触があった。

 思春期になって、その意味することがわかったとき、彼女はどうしてあんなことをしたのだろうとずい

ぶん考えた記憶がある。たぶん、親のセックスを垣間見て、それを真似たのだとは思う。しかし、その子

がどうしてぼくを対象としたのか。理由などないかもしれない。幼児や子どもにだって性欲はある。しか

し、思い起せば、やはりそこに理由があったと思えてならないのだ。

 ぼくはその子が好きではなかった。

 それは火傷があったからではなく、かわいくも、きれいでもなかったからだ。でも、その子は火傷があ

ることであまり遊びに誘ってもらってなかったみたいだったし、きっと、自分が普通の女の子よりケロイ

ド状の傷があることで、「劣っている」と思い込んでいたのだと思う。ぼくの気の抜けた遊びの態度は、

その彼女のコンプレックスを刺激したのだろう。そして、気の抜けたぼくの関心をそそるために、禁断の

遊びを提供したのだ。ぼくより年上だったから、性への関心が芽生えていたのはわかる。しかし、関心を

そそるという哀しく、屈折した心理がそこには働いていたような気がしてならない。

 日本レコード大賞が設けられ、水原弘の「黒い花びら」が第1回の受賞をした年だったと思う。昔は、

いまのようにヒット曲の寿命は短くなかった。大牟田に住んでいた間中、「黒い花びら」がいつもどこか

に流れていた。そして、特に夕暮れから夜にかけて、その唄を聴いたような気がしている。たぶん、歌詞

の冒頭の歌い出しと曲調の暗さ、それに水原弘特有のけだるい謡い口がぼくに夜の印象を強く植え付けた

のかもしれない。

 そのときも、その唄がどこかで聞こえていた。

 夕方だった。

 ぼくはよく遊んでいた友だちの一人をけしかけて、「だれが好いとうと?」とぼくに迫った気の強い

女の子を待ち伏せして、彼女におしっこをかけさせようとしていた。ところが、彼女が近づいてくると

けしかけた男の子は「そげん言うとやったら、ケンスケちゃんがやればよかろうもん」と突然、日和って

しまったのだ。ぼくの注いだおしっこは空き缶の中にたっぷり入っていた。

 「あんたたち、なんしようと?」女の子が言った。

 「お前ば、待っとったったい」ぼくは怒りを沸き立たせるように強い口調で言った。

 「なんで?」

 確か、そんなふうに会話をしたと思う。彼女はこれからなにが起こるのかまったく予想もせず、ごく普

通にいつものようにぼくに接していた。そして、その態度が一層ぼくを傷つけた。あの一件以来、彼女は

ぼくとは一言も口を利かず、ずっと無視し続けていたのだ。明らかに、あんたのことなんか好きじゃない

のよという態度で。久しぶりに声をかけたのだから、それについての釈明くらいあってもいいではない

か。そう思ったかどうかわからない。

 「男ばなめんなよ!」とか「おまえ、生意気ぜ!」とか、とにかく勢いの付くようなことを言った。

そして、そのときには、もう彼女はおしっこまみれで、大声で泣き出していた。

 近所のおばさんや彼女のお母さん、それにぼくの母まで慌てて駆けつけて、大騒ぎとなった。ぼくは

最初、水をかけたのだとごまかしたが、友だちが「あれはおしっこだ」と騒ぎに驚いて、簡単にゲロって

しまった。

 母はたぶん、さんざん彼女の母親に頭を下げたのだろう。当時から母はぼくの悪戯のために、ずいぶん


頭を下げて歩いていた記憶がある。母にこっぴどく叱られたと思うのだが、その記憶はほとんどない。た

ぶん、それは母がいつものぼくの悪戯として片付けたからだ。ぼくが怖れていたのは、おしっこをかけた

ことで、彼女に対する邪な欲望を見破られることだった。

 子ども心にも、それが無視されたコンプレックスと性的な欲求からきていることを直感していたのだと

思う。そこを指摘されて怒られていたら、ぼくは叱られた言葉の一言一句をきっと覚えていたに違いな

い。

 黒い花びら 静かに散った
 あのひとは 返らぬ
 ああ 初恋
 おれは知ってる
 恋のせつなさ 恋のかなしさ
 だから だから
 もう恋なんてしたくない
 したくないのさ

 当時のぼくにその歌詞の意味が理解できていたとは思わない。しかし、その唄の哀切な響きは、どうし

てだか、幼児のぼくの心象に重なるものを感じていた。互いの競争や駆け引きではなく、もっと単純に

女の子に好かれたいという欲求とそうならないもどかしさ、寂しさが「黒い花びら」をぼくの唄にしてい

たのかもしれない。

 その後、恋愛できる年齢になったとき、いつも自分の中にある好きな女の子への奇妙なコンプレックス

があることに気づいた。そのとき、ふと、あの火傷した女の子の太ももにあったケロイド状の傷を「黒い

花びら」の歌詞といっしょに思い出していた。