秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

男の本分 人の本分

世の中には人真似や亜流をやる人、ありもしない悪評を言い立てる人たちがいる。

それは、なにか著名なそれの真似事をするというのではなく、著名でなかろうが、だれかがやっていることの、「のようなもの」をやりたがる人たちだ。

それはそれで意味がもあれば、価値もある。動機やきっかけはともあれ、広がりをつくれるからだ。

ただ、そうした人の中には、発案者は私ですという顔を平気でしたがる人がいる。

あるいは、第一人者、パイオニアであるふりをするために、他の人や集団のありもしない、悪評をでっちあげて、周囲に流布するということも平気でやる人がいる。

敵と味方、あっちとこっちといった、子ども染みた縄張り意識が強く、意に添わなかったり、縄張りにいる、あるいはいて欲しい人間や権力にはしっぽをふりながら、そうではない人間には排他的。だが、状況が変わるとさっさと鞍替えもするw
 
その軽薄短小さを暴かれたりすると嵩にかかって、威圧する。

それでいながら、よき人を演じるために、悪評をでっちあげている人たちにも笑顔をふりまき、敵意などなきがごく演技するのも得意だ。

簡単にいえば、とてもつもなくタチが悪い。だが、そうした輩は、あちこちにいるもので、決して珍しいことでも、特異なことでもない。
 
都合のいい状況をつくり、都合のいいように立ち回り、都合のいいように利益をえて、都合のいいことはしていないという、無償と正義と貢献の装いをする。

基本、そうした人をたばかる人とは関わらないことだ。

真実を暴き、つぶすことは簡単なことだが、それをしたところで、なんの意味もない。そんな暇があったら、自分や自分たちがやるべきことのために時間を労した方がよっぽどいい。
 
そんなことは進むべき道、目指すべき歩みから考えたら、芥子粒ほどのゴミでしかないのだ。

真意や熱意というのは、いずれ、人にわかる。同じように、そこにウソやまかやしがあれば、それもいずれ人にわかる。人も集まらなくなる。

そんなことより、自分や回りのための時間と取り組みを大事にした方がいい。

前にも紹介したが、男の本分、人の本分を生きること。

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

山本五十六