無知な評論家
昨日のTBSの夕刻の報道で、どうしようないおバカ評論家がわかったようなことをいっていた。
キャスターが、こうした形で開発が進むと、東京一極集中がまた進み、ますます、地方の問題が置き去りにされてしまうのではないだろうか…。そう切り出した。
すると、おバカ評論家は、人口の減少や少子高齢化が進むいま、一極集中型がのぞましい。医療や福祉といった点でも、一極集中型の都市環境をつくった方が、効率よく、かつ無駄なく提供でき、充実したものになる。
手当する地域が広ければ、コストがかかるが、都市一極集中型にした方が、コストをかけずにそれができる。だから、東京だけでなく、各地方に拠点となる都市、東北でいえば仙台、九州でいえば、福岡、関西でいえば、大阪…そうしたところに人も集中させた方がいい。
こんなバカを報道の解説評論家として呼んだ方も問題があるが、じつは、こんなアホがこの国にはうじゃうじゃいる。いや、この国だけでなく、先進国といわれる国々にうじゃうじゃいる。
こいつらは、きっと自分たちの国にある地方というものの現実を知らない。「ふるさと」という言葉が持つ、言葉以上の意味を知らない。高齢者には、社会・環境適応能力の限界がある生理を知らない。
こいつらは、きっと自分たちの国にある地方というものの現実を知らない。「ふるさと」という言葉が持つ、言葉以上の意味を知らない。高齢者には、社会・環境適応能力の限界がある生理を知らない。
こういうやつらは、被災した東北3県の高齢者が長引く避難生活の中で、次々に亡くなっている現実から学ぼうともしていない。
すべてを面としてしかとらえず、十派一括り。多様性と弧衆化が進み、これまの面で人々をとられる、金太郎飴のような政治や国政が万策尽きて、限界にきている世界的現実を知らない。
都市を選択せず、そこに生きる人々がいるのだ。都市を選択したくとも、できない現実があるのだ。都市の論理が地方をくいつぶしていることに怒りをたぎらせる人がいるのだ。
変わるべきは、都市のあり方であり、変更すべきは都市優先の論理なのだ。
もう一度引用しよう。
都市は町から始まったんだ。町は村から始まったんだ。村は一軒の家から始まったんだ。一軒の家、ひとつの町、ひとつの村。それを犠牲にする国は、野蛮国だ。そんな野蛮国は、いずれ滅びる。
地域力・地方の力がないところに、国の発展はない。国、都市を優先する社会は人を殺す社会、国だ。人を守れない国に国家を語る資格はない。
ひとりひとりの生活と意志。意識。それと向き合え。無知な評論家よ。