世界を動かす授業
『ハーバードの「世界を動かす授業」』を読む。
一日のうち、これをやったということをひとつでいいからやろうの実践。
現在の世界経済の状況を50年代から掘り起し、経済史ばかりでなく、国際政治史にもふれつつ、これから日本が取り組むべき政治的課題、経済的課題、そして制度変更についてわかりやすく述べてある。
昨日は経団連、経済同友会など、主要3団体合同の新年会があった。それを取り上げたマスコミの報道は、どれもあいさつに登壇した、菅総理と民主党叩き。菅政権がよいとはいわない。だが、菅叩き、民主党叩き、小沢おろし、ねじれ国会の話題しかしない、マスコミのていたらくには、本当にあきれる。
ダメダメというだけなら、そこいら辺の道を歩いている人間にもいえる。新年の報道ならば、指針を提言するのがマスコミ、ジャーナリズムの使命だろうに。
ロッキード事件にしろ、三浦のロス疑惑にしろ、有罪になる確証のない事件をことさらに取り上げ、スケープゴードにしてきた、張本人。田中角栄はいま裁判にかけられていたら、無罪。三浦も自殺していなければ、無罪となる可能性が高った。ある意味、ジャーナリズムというエセ正義によって、マスコミを先導し、推定無罪の人間を結果的に二人も死に追いやった人間だ。
そんな議論は、財界も国民も求めてはいない。具体的な施策と実行。それができる政治があれば、それでいいのだ。政局ばかりに足をとられて、政策ができていないというならば、人の揚げ足とりの議論ではなく、具体的にどういうビジネスモデル、どういう政治的経済的取組みがあるか、できるかを提言すべき。
中途半端な正義ばかりを語るTBSの報道のひどさは目に余る。まだ、現状批判はするにせよ、日テレの報道の方がよほど、明快。
対案のない、現状批判には、もう大衆は飽き飽きしている。