秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

外の喧騒はいつも遠い

予定していたより、企画書書きに時間を費やす。
 
この数日は、企画書書きでひきこもり。この後は、残っている編集作業で、また、しばらくはひきこもり状態になる。
 
そんなときのオレの余暇タイムはテレビしかない。しかし、この余暇タイム、たまに拾いものがある。見損なっていたドラマや素通りしていた映画に出会って、感動させられることもある。
 
いいドキュメンタリーは少ないが、そうしたときほど、佳作に出会う。不思議なものだ。外出がちのときには、ほとんど見ないのに、そうしたときに、まるで、何かに見させられているように、いい作品に出会う。
 
たいぶ前に書いた、ポワンカレ―予想やリーマン予想と闘う数学者のドキュメントもそうだし、つい先日のバーンスタインの特集もそうだ。
 
書き続けている作品の理論的裏付けになるようなヒントがそこにあったり、その日、誰かに話した内容の裏付けになるような番組と出会う。
 
実は、これは、思春期の頃からよくある不思議な体験。何か表現をしようとして、悩んでいるときほど、ヒントのような情報や番組と出会うのだ。
 
ナレータ―をやれる、いい女優はいないかと悩んでいると、ふと、付けたテレビドラマの主演女優に、彼女しかいない!と確信し、オファーしたこともある。
 
いつも聴いていたFMのCMで聴いていた、男性の声に惹かれ、反戦平和の作品のナレーションをやってもらったこともある。
 
普段、机の上で考えたり、どうしたものかと思っていると、誰かに、ここにあるぞと教えれているような気になる。そういうときは、また、作品もイベントもうまくいく。
 
また、いまほど、一般には著名ではなかった宮台真司氏と交流を持とうとしたのは、やはり、自分の波長に合う対談の相手はないかと苦慮しているときに、編集者の友人がいったひとことだった。「あいつは、危ないけど、きっと秀嶋さんと話が合うのでは…」。
 
人は、普段は、大切なもの。自分の人生とかかわる大切な、お金ではかえないものと実は、出会っている。
 
しかし、自分に苦悩とまではいわないか、困難や悩みがあるときでないと、それに気づけないのだ。と、オレは思う。
 
自分に夢や希望、こうありたい、こうしたいという願いがなければ、目の前にある貴重な宝にも気づけない。こうありたい、こうしたいという願いは、それを本気で実現しようとすれば、困難や苦しみと無縁ではいられなくからだ。
 
困難や苦しみもなく、手に入れられるものは、それほど貴重ではない。困難や苦しみはないに越したことはないけれど、目の前にある大切なものに、気づけないより、気づけた方が幸せに違いない。
 
ということで、また、ひきこもりの孤独と闘いながら、明日を夢見る師走まじか。
 
外の喧騒は、いつもオレからは遠い。