秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悪玉ストレス 善玉ストレス

猛暑の中、3日続けて鉄アレーでの筋トレ兼ウォーキングに励んだせいか、急に気温が下がり、疲れがどっとでる。
 
コンペの結果がでるまで、身動きがとれないこともあり、運動を励んでいたのだが、同時に、結果がどう出るかに精神的に緊張もしていたのだと思う。結果が出て、緊張の糸が緩んだ。そこに涼しい風が吹いて、押さえ込んでいた疲れが出た。
 
若い頃は、自分のストレスに対する自覚が持ちにくい。体力的にも無理がきくし、精神的にも、いっぱいいっぱいで、自分の状態を客観視できるゆとりがないからだ。
 
突然、耳が聞こえにくくなるとか、指の爪が理由もなく、歪むとか、動悸を感じるようになるとか、肌が荒れる、あるいは、倦怠感が抜けないとか…。いわば、ビタミン剤を飲めばよくなるのかなという症状が出る。
 
こうした症状は、だれにでも、いつでも出る症状で、ちょっと疲れているだけだと人は素通りするが、実は、それだけ、多くの人がストレス禍にさらされている。
 
健康診断で数値が悪いというのも、生活習慣病の予兆、あるいは生活習慣病だと、本人の生活を糾せというが、それだけ、暴飲暴食、不規則な生活を強いられる環境に多くの人が生活し、中高年にはそれだけストレスが高いという証でもある。
 
一方、痩せなくては、運動をしなくては、きれいにならなくては…。あるいは、彼氏、彼女がいなくては…と、向きになり、マスコミの情報や身の回りの情報に振り回されて、それができていないと不安になる。
 
過食症や拒食症、異常に身体を洗い、肌がボロボロになるといった強迫神経症なども、こうした不安。人と同じでなくてはという同調圧力がストレスになっている。
 
いまの時代、人が心身ともに自由であり続けることは容易ではない。
 
だが、コレステロールにも悪玉と善玉があるように、ストレスにも、いいストレスとよくないストレスがある。
 
アスリートによって、プレッシャーに押し潰されてしまうものもいれば、プレッシャーを糧にして、よい成績を残すものもいる。それは、ストレスの要因となっているものを自分自身がどうとらえ、どう受け止められるかの違いなのだ。
 
不安だ、いやだなとマイナスに受け止めてしまうか、声援が嬉しい、期待されて、ありがたいとプラスに受け止めるか。
 
自分に生きる目標や目的があり、日々の猥雑さ、煩雑さがあっても、あの理想に向って自分は生きるのだというビジョンや願い、思いがあれば、日々のストレスに惑わされることも、周囲と自分とを見比べることも必要なくなる。
 
オレは、よくラグビーに喩えるが、ボール支配率が高く、攻撃のイニシアティブを自分たちが持っているとき、運動量が多くても選手は疲れない。相手にボールを支配され、防御に追われていると、相手に振舞わされるから、選手の疲労度は極端に高くなる。
 
人生の、生活の主役は自分。主人公は自分。
 
どのような困難なときにも、それを見失いない生き方を貫けば、ストレスと向き合える。そこに生まれるストレスは、そう心に決めたときから、糧となるストレスに変る。