秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お行儀よい時代の思いと願い

母君の手術で帰省しているTさんから、長いメールをもらう。
 
母君が入院されている病院は、全国的に有名な名医がいる病院らしく、また、病院の医師団も、患者さん本位の医療体制をつくろうと睡眠時間を削り、労苦をいとわず取り組んでいるらしい。
 
その紹介が丁寧にレポートされていたのだが、その中で、心にとまる言葉があった。
母君が初診で、先生に診てもらうと、こういわれたというのだ。
 
「あなたの手術はそんなに難しくないんだけど、百獣の王ライオンもたとえ獲物が兎でも全力で向かうのだよ、だから病気をなめてかかってはいけない」
 
「よく考えてみなさい。警察や、自衛隊、消防署が利益をだそうとするかい? しないだろ? 病院、医者は何のためにいるかということだよ。そりゃー赤字より儲かった方がいいにきまっているけど、そんなことかんがえていたら、そのしわ寄せは患者さんにいって、いい治療ができなくなるだろ」
 
当たり前の言葉だが、改めて、こうしたことを伝えられると、なるほどと心に響いた。
この医師は、予約外来とは別に、週一日予約なしで来院する外来の患者さんも診ていて、朝9時から午前3時まで、働きづくめの日もあるという。
 
大病院だから患者さんは、待たされることになるが、できるだけ多くの患者を診ようというその思いと使命感が、そうした病院の常識を越えた取り組みをやらせている。
 
丁度、昨日、東映のCプロデューサーと先月末から今月中旬、心血注いで作成したコンペ企画が、負けた。しかも、同日に2本の敗戦の報告を受けた。
 
期待していたCプロデューサーや関西の営業担当のDさんの落胆はひとしおだった。オレに頼めばきっととってくれる。そういう期待があったのもわかっている。また、そういう内容のコンペだった。
 
相手のあることとはいえ、いつもお世話になっている東映に貢献できなかったと心が痛む。
 
そんなときに偶然、いただいたメール。
 
自分はこの医師のような思いでやっているつもりでも、どこかに甘さや甘えがあったのではないかと、ふと、反省させられたのだ。
 
「思い」ではなく、テクニックで処理していた自分がいるのではないか。「願い」ではなく、要領や計算ばかりを働かせいたのではないか…。
 
コンペには、いろいろな事情もある。こぼれるには、それぞれの理由がある。決して、一方的に提案した側に不適際があったとはいえないし、また、提案する側に配慮や計算が足りなかったともいえるもの。
 
だが、それを越える手立てはあったはずだと思う。圧倒的な共感や感動があれば、読みや計算を越えられるものがある。
 
思いや願いがふかければ、荒削りな部分や不器用さがあっても、人の心を惹く。それをどこか要領よく、上品にお行儀よくまとめてしまっていたのではないかと思ったのだ。
 
いまの時代、世の流行や時流、マーケティングなどの計算で物事が運ぶ時代。それを批判しながら、自分の思いや願いにどこまで純粋でいられたのか。
 
Tさんの長いメールが飛び込んできたのは、決して、偶然ではない。