秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

嘘から見える真実

今週は、遅れている企画書作成と打ち合わせが続く。しばしは、資料とPCのにらめっこ。
 
実は、社会教育や人権啓発、教育教材においても、時代のトレンドやブーム、話題性といったものと無縁ではない。
 
子ども、女性への虐待事件がマスコミをにぎあわせる、いじめによる自死事件が起きる、薬物で著名人が逮捕される、といったことが起きると、啓発や教育現場でも、そうした情報を得ようという意欲が生まれ、作品の要望が高まる。
 
だから、常に時代の話題、課題や問題点をスクリーニングして、情報を収集し、世相や人心がどう動いているのかをキャッチしておく必要がある。企画を立ち上げる、まとめるとなると、アンテナにひっかかった情報から、関連するものをピックアップし、それを追跡、追及する。フィールドワークもやる。
 
それは、ある意味、研究者の仕事にも似ているし、ジャーナリズムや社会学調査のテクニックも求められる。それでいて、まさに観る側の軸となる作家的取材の眼がいる。
 
よく、どうしてこうした仕事をしているかと聞かれて、説明に困るが、こうした情報収集や取材と、その材料を自分の眼で透視し、そこから浮び上がる、まだ、人々が気づいていないような構造やしくみ、人心といったものと出会うことが、たぶん、オレは楽しいのだ。
 
いろいろ、いってるけど、実は、世の中、こうなってるじゃん。それわかんないの、おかしくねぇ? と、世間にいいたいのだ
 
オレはテレビの報道も討論番組もよく見る方だが、そのほんとんどを信じていない。自分でふれた情報、周囲にある身近な情報の方がはるかに真実と現実性にあふれている。
 
無作為抽出法による大量データの収集と統計による分析ではなく、いまは、深く追求できる個的情報のサンプルを限定的に集めた方が、情報精度は高いといわれている。30歳なら、同年齢の独身女性10人のプライベート情報を徹底的に収集分析すれば、30歳が持つ志向性やこだわり、不安や心配事、結婚や出産、将来に対する考え方が読めるというものだ。
 
ただ、この手法では、情報収集側の視点の広さ、教養や情報の広さが求められる。大量統計のデータを読み解くように表層だけの分析では、テレビの調査番組程度のことしかやれない。人心を読み解くところまではたどりつけない。
 
たとえば、30歳の女性の例でいえば、内容や人にもよるが、簡単に嘘を解答するからだ。嘘の解答をそのまま数値として読んでは、何も見えてこない。
 
それが、嘘であることをまず見抜き、見抜いていることを悟れらないように、なぜ嘘をつく必要があったのかを読みとる。そこに、彼女を取り囲む生活状況や成育歴の中で、そうした嘘をよしとする、やむなしとする、当然とるする世界が見える。それを当然とする人間関係の姿まで見えてくる。
 
たった一つの嘘があることで、かえって、深く、そして、しっかりと1人の人間が生きてきたすべてが垣間見える。
 
いい、悪いは関係ないし、どうでもいいこと。そうしたことをしてしまう、そのすべてに、その人が生きてきた真実があるのだ。
 
そのように情報とふれ、情報を読み解いていくと、この社会、教育の現実、家庭の姿、人と人の結び付きの真実が、深い落胆と共に見えて来て、何か行動を起こさなくてはという思いにもなり、虚飾に満ちた人生はつらかろうと、哀れにもなる。