秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

禁煙の毒舌

他人に心配されたり、直接、世話を焼いてもらうことに、なれていない。
 
そんなオレのことを、自分に自信がないからと評した奴がいるらしい。自分に自信がないのは確かだが、それは全く、違う。
 
自分が人のために何かをしたり、あれこれ気を遣うことは苦ではない。そればかりか、他人への配慮が足りないと、ちょっと待ってよと説諭する。が、自分が世話や面倒をかける、その当時者になることが、申し訳ないと思うのだ。
 
人に迷惑をかけたり、心配をかけたりしながら、人は生きている。オレもそのひとり。だが、家族や身内以外の他人に対して、自分が面倒をかけることには、こころから申し訳ないと思ってしまう。他人に心底、甘えることになれていない。
 
なぜか。簡単なことだ。子どもの頃からそうした立場にいなかったから。
 
小学生のときから児童会の役員をやり、中学では生徒会。高校でも生徒会執行部。そして、演劇部の部長をやり、仲間を集めてフォークサークルをつくった。文化祭の実行委員長をやり、生徒の前で、検閲問題や沖縄問題でアジテーションをやった。
 
常に衆目にさらされ、牽引する側にあり、そこでの問題やトラブルに対処し、個々人の問題にも心を砕かなくてはいけない思春期だった。演劇部の後輩たちとは、卒業しても付き合いが続き、相談事は始終だった。
 
もちろん、その中で、自分の力ではどうしようもないことで、同輩、先輩、周囲の大人の力を借りたことはある。面倒を見る側でも、見られる側になったことは、ないとはいわないが、実に少ない。だから、なれていない。
 
いま、禁煙しているが、数日ごとに禁断症状の波が来る。イライラしたり、カリカリしたり…。そこに酒が入ると、始末が悪い。
 
昨夜、オレの禁煙を心配してくれる人から、声をかえてもらったが、酔った勢いもあり、ジョーク気分で、毒舌。心配してくれる人に、またも不愉快な思いをさせてしまった。心配されることになれていないといえば、それはいいわけ。
 
どんなに自分が苦しくても、人にやさしくできてこそ、感謝できてこそ、本当のやさしさと感謝というものだ。
 
いろいろな意味で、思いのほか、禁煙はきつい。