秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自殺対策と精神文化

仕事とは直接関係ないのだが、だいぶ前に自殺防止対策に関する本を数冊購入していた。

この連休中にたまっていたそれらの本を読んでしまおうと、原稿の進まない中、いつもの悪い癖で、仕事をそっのけで本を読んでいる。

実は、今年の自主企画作品に、社会的な意義と必要性を感じて、自殺防止対策の作品はどうかと思っていた。しかし、過去の制作実績や販売状況を見ると、自殺対策物は、苦戦していることがわかり、今回は見送ることにした。

自殺防止法案が自公政権時代、やっと国会で、超党派の有志議員の提案で成立した。うつ病の広がりで、自殺防止対策に関する行政やマスコミの関心も以前よりは高まったと思うが、そうした動きが出ているにもかかわらず、1998年以後、自殺者数は増加し続けている。

つまりは、法制度による対策、行政での取り組みがまだまだ、アリバイ的で、力不足であり、法制度やシステムの取り組みだけでは、自殺防止の有効な対策にはならないということだ。

実際に、社会教育で自殺対策物が売れないのも、問題意識は持ちながら、<自殺>という負のテーマが、日本社会、日本人の意識の中で、否定的対象でしかなく、眼を向けたくない題材だということがある。

学校教育現場でも、ことさら自殺を取り上げると、子どもたちに悪影響を与え、自殺を誘発するのではないかという怯えもある。それは、過労死自殺が増大している、企業の現場でも同じだ。

また、そうした教育の場で、情報提供しても、対象者たちにどう自殺防止について教育や指導をしていったらいいかの学びがないことも大きな要因のひとつだ。

2001年に出版され、加筆して文庫本になっている、精神科医高橋祥友氏の『自殺のサインを読みとる』(講談社文庫)は、単に自殺防止対策の本というだけでなく、戦後日本の問題点を批評し、日本人の精神文化論を語る評論本として秀逸に仕上がっている。

自殺対策の本としてだけでなく、家庭教育、学校教育、労務管理の本としても、また、いじめやひきこもり、自傷、薬物依存、昨今の通り魔事件の対策本、小泉政権以後の社会評論本としても読める。この国の現実をじつにしっかりとらえているし、的確だ。

以前、別の仕事で、増大する自殺対策、とりわけ、うつ病と自殺との関連をCSの番組で制作し、うつ病対策の医療現場や中高年の自殺防止に取り組む方の話を取材した。高橋氏にも、そのとき出演依頼をしたが、確か、当時は、防衛医科大の教授という立場で、大学の許可が下りず、出演は難しいという返事をもらった記憶がある。

この国は、前向きで、健康的で明るいものが好きだ。社会問題となっている課題に深く切り込むことも、それを市民の共通の問題として共有し、国、地域行政、教育、病院、保健所、専門家といった立場の人間たちが、徹底して個人の問題に関るということがない。あっても、地域差が激しい。

自殺問題のような、社会的問題でありながら、すこぶる個的な問題として封じ込めることのできる課題は、結局は、家庭とそれを取り囲む人間関係の中から救いの手段や方法、道筋が構築されなければ、現実的な救済には結びつかないと、オレは思っている。

スウェーデンなど、北欧諸国がかつて社会福祉が充実してるにもかかわらず、世界トップの自殺者を出していながら、その後、自殺防止で大きな成果を上げられたのは、国のシステムもさることながら、いわば、よってたかって、個の生活に関わりを持つ共同体意識を再建できたからだ。

秋田県などいくつかの自殺者数の多かった県では、そうした取り組みが国レベルより一足先に進んでいる。つまりは、国のサポートもさることながら、県、市町村単位でのきめ細かな対策が必要不可欠ということだ。

個人情報の問題やプレイベート保持の意識の高まりは、人権を守るという点で重要な意味を持つこともがるが、それが過度に協調され、他者との関わりを遠ざけたり、根絶するような歪な意識の蔓延が、この国にはある。

そうした人々の意識を文化的に変えて行かない限り、せっかくの救済システムも十全に機能はしない。しかし、自らの自助努力で、意識を変革するということが、この国の人々にはできない。権利主張は大事だが、自己の権利主張ばかりで、他者を思いやる心がなければ、それは単なる利己に過ぎないのだ。

それに目覚めさせるには、何が必要なのか。

昨今の政治報道、事件報道を見聞きしながら、そんなことを考え、イライラとストレスが募る。