秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

心をたどる

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

おふくろの三回忌の帰り。大宰府に足を延ばすには、夕方近くになり、参道の店も閉まる時間、そこで、少年時代遊んだ、大濠公園と自分が住んでいた界隈を歩く。

幼稚園の年中から小学校の4年の1学期まで過ごした場所。オレの書庫の「あの素晴らしい愛をもう一度」の舞台になった場所のひとつだ。とりわけ、大濠公園には、いろいろな思い出がある。

中学生になると、門司にいた頃、仲の良かった転校生仲間の女の子が、大濠公園の近くに住み、自分の地元ということもあって尋ねていったことがある。そのとき、大濠公園でボートに乗った。

福岡の舞鶴城や大濠公園は、いまも昔と変らない、落ち着いた空気があり、博多とは違う、城下町の品格がある。この辺を生活の場にしてる中学生や高校生には、定番のデートスポットだった。

高校の頃、付き合っていた彼女ともよく天神からぶらぶら歩いて、このコースを楽しんだ。

「あの素晴らしい」の書庫の中で、橋の下に住んでいた「木村くん」という見出しのエッセイがあるが、最近、それを企画のモチーフに使ったこともあって、当時、通っていた小学校と彼が住んでいた、斐伊川(ひいかわ)の橋の下の河原を見にいく。

橋と河原はあの頃のままだった…。

時間が逆転するような不思議な思いにつつまれる。違っているのは、当時とは比べものにならないほど、河川がきれいになっていることくらいだ。小学校中学年までの思い出が走馬灯のように過ぎった。

気分がハイになっていたのだろう、約2時間もかけて、昔、九州大学教養学部があった六本松から徒歩で、自分が生まれた赤坂門を抜け、長浜ラーメンで有名な水産水揚げの市場近くまで歩いた。まだ、屋台が始まってなく、そのまま、徒歩で天神まで行き、開いたばかりの屋台に飛び込む。おでんをつまみに、熱燗。

今度、いつまた福岡に来るかわからない。屋台のカウンターには座っておきかった…。

オレの知っている福岡は、もうほとんどない。変らない風景としてあるのは、大濠公園舞鶴城、それに屋台、後は箱崎神宮や大宰府天満宮志賀島くらいのものになった。つまり、歴史的な場所以外は、ほとんど姿を変えてしまったのだ。

博多下町を舞台にした、博多山笠祭りの戯曲を書いたことが、オレが芝居の世界に本格的に入るきっかけになったが、実は、オレは下町での生活経験がない。下町にはまだ、博多の名残やオレが知っていた町並みはあるのかもれしれないが、どうしても自分の育った福岡の方に思い入れが深い。その福岡が、オレがいた頃とは違う街になっている。

それは、もうずいぶん昔に気づいていたことだけれど、改めて、徒歩で歩くとつくづくそう思う。

しかし、おふくろやおやじが、まだ若く、オレが子どもだった頃の記憶を胸に、オレたち一家が過ごした場所をたどるのも悪くはない。それも、おふくろの供養の一つになるような気がしていた。

いまのオレをつくってくれたものは、ここにしかないからだ。

その頃のおふくろやオヤジの思い、オレの思い。その心を改めてだどる。そうした時間をもらう。そこにもきっと意味があるような気がした。