秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

終わってない宿題

長年の友人のMと1年ぶりに会う。

電話でのやりとりはあるのだが、編集プロダクションをひとりでやっているMは、取材や原稿書き、打ち合わせと忙しく、なかなか直接会う機会がない。

奴と出会ったのは、東宝の戯曲科時代。互いに30前後の頃だ。かれこれ、25年以上の付き合い。

それまで前進座の営業をやっていた奴が、劇作家を目指して東宝に入所し、オレは、劇団を解散して、映像の企画制作会社で、生まれて初めてサラリーマンをやりながら、戯曲科に通っていた。同期には、数年前に日本エッセイストクラブ大賞を受賞したNもいた。3人は結構、仲がよく、いつも帝劇の帰り、有楽町のガード下で飲んでいたような気がする。

Mは、まとめ役、世話役が向いていて、戯曲科のクラス委員のような役回りをやってくれていた。オレは、劇団をやっていた頃と違い、収入もあったから、バイトのような生活をしていた奴によく酒をおごった。同じ、福岡県の同郷ということと、大学も学部も一緒で、2級ほど下ということもあった。

東宝の演劇企画室長は、当時、演劇評論家でも著名な渡辺保先生だった。講義は、実践女子大教授で、これも著名な演劇評論家の藤木宏幸先生、俳優座で斬新なシェークスピア演出の先駆けをつくった増見利清先生。高校時代に、オレは、先生の舞台を見ていた。

オレは、映像の制作仕事が忙しく、課題の戯曲ひとつかけなかった。ある日、Mが演劇企画室に呼ばれ、オレやNを含め5人ほどに帝劇の戯曲の台割を書いて提出せよいう話を持ってきた。選抜試験だ。オレにはすぐにわかった。

演劇室から次々に課題が出され、次の課題を出せと指名される人間がだんだん減っていった。Mも途中で落伍した。最後に残ったのが、オレとN。だが、オレは、最後の課題は、さわりしか書けず、Nに決まるだろうと思っていた。それが、東宝から会社に電話が入り、本社に来てくれという。その時点で、オレなのだなとわかった。

渡辺先生には、期待をかけてもらった。次の帝劇の芝居の脚本を書けという話だった。主演の山本富士子さんにもオレに本を書かせることは了承をすでにとってあった。驚いた。驚きすぎて、迷っているオレに、先生は、自分は評論家という視点しかなかった、だから、自分が退職した後、菊田一夫先生のように、戯曲がかけて、演劇の企画ができる人材が東宝演劇には欲しいのだとまでいわれた。

結局、オレは先生の期待に応えなかった。いや、いろいろな事情で応えられなかった。あのとき、東宝の演劇企画室で、やりますといっていたら、オレの人生はずいぶん変っていただろう。商業演劇の世界にどっぷりつかっていたと思う。

結果を話すと、Nが激烈に怒った。みんなあなたみたいになりたくて、戯曲を勉強してるのよ! チャンスなんてなかなかないのよ! すぐに渡辺さんのところにいって、やりますっていってきなさい!
その剣幕はすごかった。友情に溢れていた。

落伍したMはその後、東宝にはこなくなった。Nは大学教授の夫の海外研究委員派遣で、ドイツにいった。
オレは、映像制作の仕事に埋没していった。

しかし、その後、出版社に勤めるようになったMとは、映像と書籍のタイアップ企画などで、互いの会社の社長を紹介しあったり、奴の会社の新雑誌のCMをオレが制作したりする付き合いになった。オレが独立すると、しばらくして奴も独立し、あれこれ相談や助け合いながら、これまで付き合っている。

Nは、ドイツから戻ると、持込企画で、亡くなった新劇の大女優を題材にしたルポを新潮社から出した。それが、その年の日本エッセイストクラブ大賞を受賞した。ごくたまに、電話などで話すと、奴は、やはりオレのように脚本や芝居に近い仕事がしたかったのだろうなと思う。オレが舞台をやるという話をすると、私たちの中からひとりは出てきて欲しいと、いまでもいう。

3人で顔を合わせることは、めったにないのだが、数年前、めずらしく、オレが声をかけて3人が揃った。
講師だった、藤木宏幸先生のお別れの会だ。案内は、オレのところにしかきていなかった。

期待をかけれれながら、戯曲を提出せず、いつもボロボロに叱られていたから、オレのことなんて先生が気にかけてくれているはずはないと思っていた。

藤木先生は、だが、オレの連絡先を亡くなるまでとっておいてくれたのだ。先生の遺影の前で、申し訳なくて涙が出た。演劇の世界から離れ、戯曲のひとつも先生に見せることができなかった悔いだった。

いま、ジョギングやウォーキングを朝やっているのだが、たまに、渡辺先生が奥さんと絵画館の辺りを散歩されている姿に出くわす。声をかけようかどうしようか、いつも迷い。結局、声をかけられずにいる。先生はずっと青山に在住なのは知っていた。

不思議なものだ。25年ほど前、オレの人生の転換点にいた先生と絵画館の朝の風景の中で出会う。

オレの終わってない宿題を教えられているような気がする…。