秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

反省のない人々

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原宿駅の今月の和歌。

「世の中の 事ある時に あひぬとも おのがつとめむ ことな忘れそ」(明治天皇

世の中にどのようなことが起こっても、それに心を振り回されず、冷静に自分がやるべき務めを忘れずに、きちんと果たすことが大事なのです。

「人しれず 思ふこころの よしあしも 照らし分くらむ 天地(あめつち)のかみ」(皇后)

人が心の中で思っているよい心も悪い心も、実は神様はいていらっしゃいますから、それに照らしてよい心で日々を生活するように務めることが大事です。


都議会選挙を控えた公明党の顔色を伺い、補正予算の追加審議のための国会延長が55日と麻生政権が決めた途端、自民党内から麻生降ろしが噴出した。麻生では、次の衆議院議員選挙は勝てないどころか闘えないという自民党議員の中から造反が出た形だ。衆議院議員選挙前に、総裁選挙を前倒しして、新たな顔で選挙を闘おうというもの。

自公独裁政権は、民主党批判の中で、民主党が一枚岩ではないことを常に取り上げるが、自民党もそれは同じ。総裁とその周辺に求心力がある内は、強い威光の前で口を噤むが、政権末期となると、またぞろ造反が出て来る。自民党の改革のチャンスと考える向きもあってのことだろうが、結局、政局と選挙を担保にして、自民党内での発言力を高めたいという自民党内の権力闘争に過ぎない。

そんなことなら、もっと前に反麻生を鮮明にして、自民党という権益の枠組みから飛び出す決意と覚悟を示し、なぜ反麻生なのか、その理由と根拠を明確に国民に提示すべきだった。つまり、自公独裁政権の過ちゆえに、国民からの支持が低落している、その現実を認め、麻生のようなあんぽんたん首班指名した自分たちの愚かさを国民に謝罪するのが先だったはず。

それなくして、単に次の権力を掌握するための反麻生では、国民は興ざめする。表向き、麻生支持の顔を見せながら、公明党やそれを支える創価学会のえらいさんたちが、このままではヤバイと次の選挙を少しでも優位に進めようと背後で画策している臭いさえする。

政治家がいまやるべきことは、権益や権力にしがみつくことではなく、株価が上昇傾向にあるとはいえ、先月集計の失業率は5%の大台にのり、中小零細企業が次々に倒産、廃業に追い込まれてる庶民生活の現実、生活防衛のために、必死で生活の無駄を切り詰めている実態を、どう安定させるか、生活苦・将来不安をどう取り除くかに邁進することだろう。

口先だけの政策、言葉だけの国民生活安定ではなく、具体的、実践的、効果的、かつ即効的に国民を主役とした政策の実現に汗をかくとことだ。我々の税金で食べているということは、僧侶が人々の喜捨、布施によって、日々の生業を得ているのに等しい。血税を無駄にするような政策をやり、自己の権益にしがみつような人間に、真に国民一人ひとりのために、心血を注ぐ覚悟などありはしない。

歪んだ心は、いつか、その歪みを人々に露呈する。どのようなテカテカの正義を語ろうとも、そこに他者や人間への真実の愛がない正義は、その邪な心を露呈する。暴かれてもなお、それを辻褄あわせしようとすれば、辻褄あわせをしようとしている人間のさもしさ、いやしさを露呈する。

麻生にも、太田の言葉にも、ひとつも出てこない言葉を知っているだろうか。いや、国民は、はっきりそう意識しなくとも、どこかで感じているはずだ。

それは、実に簡単で、しかし、心がこもっていないとその深い思いが伝わらない言葉だ。

「ごめんなさい」「すみませんでした」。この二つだ。自分たちがやっている失策に、ただひとつの反省もないのが、いまの自公独裁政権の姿だ。

この世の中、反省のない人間ほど信じられない。反省によって、自分の心と向き合ってない人間ほど、傲慢な人間はいない。当然ながら、そういう人間に、いまこの国で辛酸をなめている人々の痛みはわからない。

余談をひとつだけ。このブログのランキングをやっているリスミー。オレが政権批判をして、それに関心があるのかアクセスが多いにもかからわず、政権批判のコメントを始めた途端、ランキングがぐんぐん下がっている。アクセスが増えているのに、ランキングが下がる。これは、だれかの恣意か。操作か。権力とは実に、かしこい。と、ほめておく。